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あなたの身体には、もう値段がついている

アメリカの大手生命保険会社John Hancockは、2018年にスマートウォッチの心拍数・睡眠・運動データを保険料に反映するプログラムに全面移行した。日本ではまだ本格普及していない。だが、向こうにある景色は見えている。あなたの身体は、もう「格付けの対象」になっている。

身体が経済条件に変換される

毎日8000歩歩く人は、歩かない人より保険料が安い。深く眠れている人は、眠れていない人より安い。数字が良ければ割引、悪ければ割増。身体の状態が、そのまま経済条件に変換される。

健康データが「資産」になる時代が来た、とよく言われる。「資産」という言い方は優しすぎる。

正確に言えば、あなたの身体は「格付けの対象」になった。

健康状態が良い人は、保険料が安くなり、採用で有利になり、住宅ローンの審査も通りやすくなる。逆に、生活習慣が悪く、睡眠が短く、運動不足の人は、じわじわと経済的なコストを払い続ける。

身体のコンディションが、格差を再生産し始めている。

外来で見える、生活と数字の連動

外来で子どもたちの成長を見続けていると、気づくことがある。

肥満傾向の子どもが来ると、気になるのは体重の数字だけではない。その子の生活環境が透けて見える。夜に何時まで起きているか。どんなものを食べているか。運動する機会があるか。

そしてそれは、家庭の経済状況と深く連動している。

共働きで帰宅が遅い家庭では、夕食が遅くなり、睡眠時間が削られ、コンビニ食が増えやすい。食育に時間を割ける余裕がない家庭では、子どもの食習慣が乱れやすい。

貧困が不健康を生み、不健康がさらに貧困を深める。この悪循環は昔からあった。

でも今起きているのは、そこにデータという新しい層が加わったことだ。

「健康の自己責任化」の究極形

ウェアラブルデバイスは、もはや健康意識が高い人だけのガジェットではない。スマートフォンでさえ、歩数・心拍・睡眠を計測している。

そのデータが、医療機関だけでなく、保険会社・雇用主・金融機関に流れる未来は、技術的にはもう実現している。あとは制度と合意の問題で、流れを止める力は弱い。

「健康でいれば得をする」は聞こえが良い。でも裏側には「不健康であれば損をする」がある。

健康を維持できない人が、なぜそうなのかを問わずに、結果だけをスコア化して経済条件に反映する。それは「健康の自己責任化」の究極形だ。

意志力という幻想

ここで一つ確認しておきたい事実がある。

「意志力があれば健康になれる」は、かなりの程度で幻想だ。

睡眠の質は、遺伝的要因と生育環境に強く影響される。肥満リスクも遺伝子によって大きく変わる。ストレスが高い職場環境に置かれれば、コルチゾールが慢性的に上昇し、それだけで代謝が乱れる。

身体のコンディションは、本人の努力だけで決まっていない。にもかかわらず、その数字をスコア化して格付けに使う。

これは公正な評価だろうか。

スコアは「あなた」を見ていない

AIとの関係でいえば、身体データの格付けはAIが最も得意とすることだ。

数十万人の睡眠パターンと10年後の心血管イベントを突き合わせて、「あなたのリスクスコアは高い」と算出する。正確さという点では、人間のドクターより信頼できる面もある。

でも、そのスコアは「あなた」を見ていない。

あなたが睡眠不足である理由を知らない。介護で夜中に起きていることも、夜勤続きであることも、幼い子どもがいることも。スコアにとって、すべての睡眠不足は等価だ。

人間の身体は、データポイントの集合ではない。でもデータとして扱われ始めたとき、そこに「文脈」を持ち込む主体が誰もいなければ、スコアが現実を定義する。

あなたの心拍が今夜どんな数値を示そうと、その数値が「あなたの価値」の一部になる時代が来る。

身体を「管理されるもの」として最適化しようとする自分と、身体を「生きているもの」として感じている自分は、同じ自分なのか。

答えが出ないまま、今夜もデバイスはデータを取り続けている。

この章のポイント

  • 身体は「資産」ではなく「格付けの対象」。心拍・睡眠・運動が経済条件に直結する時代
  • 健康は意志力だけで決まらない。それでも数字だけがスコア化されて格差を再生産する
  • AIは身体データの格付けが最も得意。だがスコアは文脈を見ない
  • データが現実を定義する前に、誰が「文脈」を持ち込むのかを問う必要がある