2023年、ゴールドマン・サックスのレポートが試算した。AIによって代替リスクが高い職業のリストに、弁護士、アナリスト、プログラマーが上位に入った。一方で、看護師、保育士、介護士は「代替困難」のカテゴリーに分類された。最もスキルが高く、最も賃金が高い職業が代替される。最も低賃金で、最も体力を消耗し、最も「誰もやりたがらない」と言われてきた職業が残る。社会が最も軽んじてきた仕事が、最も人間にしかできない仕事だった。
感情労働とは何か
社会学者アーリー・ホックシールドが1983年に「感情労働(emotional labor)」という概念を提唱した。
仕事上、自分の感情を管理し、コントロールして、職務として提供すること。飛行機のキャビンアテンダントが研究対象だった。怒った乗客に微笑む。疲れていても温かく接する。自分の感情ではなく「職業的な感情」を演じる労働。
看護師がやっていること。保育士がやっていること。介護士がやっていること。そしてもちろん、医師もやっていること。
これは非常に消耗する。自分の感情を抑圧し続けることは、長期的にバーンアウトを引き起こす。感情労働の職種では離職率が高い。給料は低い。社会的地位も高くない。
「誰でもできる」と思われてきたからだ。
本当は誰でもできないのに
新生児集中治療室で働いていた頃、毎日のように「この子が助かるかどうかわからない」という状況で親と話さなければならなかった。
僕は医師として事実を伝える義務がある。同時に、目の前にいる親が崩れ落ちないように支える必要もある。希望を持たせすぎても残酷だ。絶望させすぎても残酷だ。その微細なバランスを、毎回手探りでやっていた。
これを「スキルが必要な仕事」だと言う人はあまりいない。「コミュニケーション能力」という言葉で片付けられる。数値化しにくい。評価されにくい。
これができない医師は、医師として機能しない。どれだけ知識があっても。
看護師はもっとそうだ。点滴の技術だけが看護師の仕事ではない。術後の患者が夜中に怖くて眠れないとき、そこにいること。ただいること。その存在そのものが治療だ。
AIにはそれができない。
涙を流せることの意味
2024年、AIが音楽を聴いて「感動した」と述べた。
Googleのgeminiに「この曲を聴いてどう感じましたか?」と聞くと、「深い郷愁を感じます。胸が締め付けられるような感覚があります」と答えた。
その答えは正確だった。僕も同じ曲で同じような感情を持つ。言語的には同じ表現だ。
AIは涙を流さない。流せない。
泣いて良かった、と思う
新生児集中治療室で担当していた子どもが亡くなったとき。救急外来で一晩戦ったのに回復しなかったとき。親御さんが「先生、ありがとうございました」と言いながら涙を流すのを見たとき、僕も泣いた。
医師が泣くべきではないという考え方がある。感情的になることはプロフェッショナリズムに欠けると言う人もいる。
僕は、あのとき泣いて良かった。
涙は「この出来事が僕にとって意味を持った」という証拠だ。
無感覚にやり過ごすことができなかった。その子どもの死が、僕の中に入り込んだ。それが涙になった。
涙の生理学。身体が行う静かな浄化
涙には、感情以上のものが含まれている。
生化学者ウィリアム・フレイは1985年の研究で、感情的な涙と反射的な涙の成分を比較した。結果、感情的な涙にはストレス関連ホルモンであるACTHやプロラクチンが多く含まれていた。
泣くという行為は、身体がストレス物質を物理的に排出するプロセスだ。
泣いた後に「すっきりした」と感じるのは、気のせいではない。身体が化学的にリセットされている。
AIには涙腺がない。ストレスホルモンもない。「泣いてすっきりする」という回路を持たない。
涙を流せるということは、身体が自分自身を修復する力を持っているということだ。
感情の非効率が拾い上げるもの
診察室で子どもを見て泣きそうになることがある。それは非効率だ。その「泣きそう」という感覚が、「この子に何かある」という直感の源泉になる。
数値はまだ正常範囲内だ。何かがおかしい。その「何か」を感じるのは、感情を使っているからだ。感情は、論理が処理しきれない情報を拾い上げる。
AIはすべてをパターンマッチングで処理する。数値が正常ならば正常と判断する。
人間は数値が正常でも「気になる」と感じることがある。
その「気になる」が、後で意味を持つことがある。
逆襲の条件
「感情労働者の逆襲」が起きるとしたら、何が必要か。
一つは、感情労働の「技術としての可視化」だ。ケアの質を測定する指標。患者の感情的な回復を記録するデータ。「この看護師がいると患者の不安が下がる」ということを数値で示せること。
もう一つは、「代替されないことへの認識」だ。コストではなく、価値として評価されること。「AIにできないから仕方なく人間がやる」ではなく、「人間がやるから価値がある」という転換。
「誰でもできる」と思われていた仕事が、実は「誰にでもできない」仕事だった。
そのことに社会が気づくのは、それを担う人間がいなくなった後だ。
介護の現場から人が去り、保育園が閉じ、夜勤の看護師が足りなくなったとき。AIがその穴を埋めようとして、埋まらないとき。
そのとき初めて、「傍にいること」の値段が決まる。
この章のポイント
- AIに代替されにくいのは、社会が最も軽んじてきた感情労働の領域だった
- ケアの本質は「ただそこにいること」。それ自体が治療として作用する
- 涙はストレス物質を物理的に排出する身体のプロセス。AIにはこの修復回路がない
- 「人間がやるから価値がある」へ転換しないと、ケアの担い手は枯れる