業務を楽にするために作ったツールが、数ヶ月動いた頃には使用ログが溜まっている。退院時サマリーの下書きを作るツール、トリアージの待ち時間を記録するシート、問診の聞き漏らしを減らすチェックリスト。作った本人は満足していいはずが、ログを見返すと、これは発表できるのではないか、という問いがふと立つ瞬間があります。
まず、それは「研究」なのか
作ったものを人に使わせて記録を取っても、それだけで自動的に「研究」になるわけではありません。
厚生労働省・文部科学省・経済産業省の「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」は、研究を「傷病の成因・病態の理解、予防・診断・治療方法の改善やその有効性の検証などを通じて、国民の健康保持増進や患者の傷病回復・QOL向上に資する知識を得ることを目的として実施される活動」と定義しています(令和3年3月23日制定、令和5年3月27日一部改正)。
同指針のガイダンスは「傷病の予防、診断又は治療を専ら目的とする医療は、この指針でいう『研究』に該当しない」とし、該当しない例を挙げています。
- 診療参考のための診療録参照、退院患者のフォローアップ
- 症例検討会・学会・専門誌での症例報告
- 既存知見の出版物・広報物への掲載
- 自施設の医療評価のための診療実績(受診者数・処置数・治療成績など)の集計・供覧
- 標準診療の確認、院内感染・医療事故防止など、医療の質確保のための機関内データ集積
自分の道具を自分の病棟で使い、その病棟の実績として集計するだけなら、多くの場合は「研究」ではなく質改善(QI)です。そのログをもとに「この介入は一般的に効果がある」と外部に主張したくなった瞬間、研究の領域に入ります。
見立ての3つの経路
研究になりそうだと分かったら、道具のログは主に3つの経路のどれかに乗ります。
見立ての3つの経路
QI(PDSA)
自施設の現場を良くする
観察研究
一般化できる関連を問う
症例報告
1例の新規性を語る
経路1: QI(PDSA)
Plan(計画)→ Do(実施)→ Study(評価)→ Act(標準化)のPDSAサイクルで回します。
道具のログがこの経路に乗るのは、たとえば「チェックリスト導入前後で、問診の聞き漏らし件数がどう変わったか」を自分の外来だけで見るような場合です。他院との比較や一般化は目指しません。
経路2: 観察研究
時間の流れで大きく2つに分かれます。
- コホート研究: 要因(暴露)からアウトカムを追跡する。稀な要因や複数アウトカムを同時に見たいときに向く
- ケースコントロール研究: アウトカムから要因を遡って調べる。稀なアウトカムや、追跡に時間がかかりすぎるときに向く
道具のログがこの経路に乗るのは、「このツールを使った患者群と使わなかった患者群で、あるアウトカムの発生率に差があるか」を主張したい場合です。QIより一段重く、サンプルサイズ計算・交絡因子の調整・多くの場合は倫理審査が必要になります。
経路3: 症例報告
「稀な疾患」「非典型的な経過」「新しい診断・治療の切り口」など、その症例固有の新規性を報告します。
道具のログがこの経路に乗るのは、量ではなく質です。ツールを何百人に使ったログではなく、「このツールが、ある1例の見落としを防いだ、あるいは典型的でない経過を可視化した」という物語に価値がある場合です。
見立てを決める3つの問い
3つの経路のどれに乗せるかは、次の問いへの答えで機械的に絞り込めます。
うちで効いたか、一般に効くか
前者ならQI。後者なら観察研究か症例報告。最初の分岐でほかの2問より優先する
対象は1例か、集団か
一般化を目指す場合、1例ならその新規性を問う症例報告、集団なら観察研究
データは前向きか、後ろ向きか
前向きなら設計の自由度が高い。後ろ向きなら測定していなかった項目は補えない
前向きか後ろ向きかの制約は、次のレッスンで扱う研究計画書の段階で効いてきます。
決まらないときは、複数の経路にまたがっているか、そもそも「研究」ではなく「業務改善」で十分な場合です。倫理審査(IRB)が要るかどうかの精密な線引きは別コースで扱います。ここでは「怪しいと感じたら、その感覚を無視しない」ことだけ覚えておいてください。
見立てたあとに残る宿題
経路が決まっても、道具のログがそのまま研究データになるわけではありません。残る宿題は主に2つです。
- ログに患者を特定できる情報が混ざっていないか。混ざっているなら、研究データに変える前に匿名化・仮名化が要ります
- ログの取り方が、これから主張したいアウトカムを測れる形になっているか。後から「あの項目も取っておけばよかった」と気づいても、後ろ向きには補えません
自分の道具のログを思い浮かべて、3つの経路のどれに近いかを言葉にしてみてください。
参考文献
- 人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針(令和3年3月23日文部科学省・厚生労働省・経済産業省告示第1号、令和5年3月27日一部改正)本文
- 同指針ガイダンス(厚生労働省)第2 用語の定義8 PDF
セルフチェック
1. 自分の道具を自分の病棟だけで使い、その病棟の実績として集計する場合、多くのケースで該当するのはどれですか
2. 見立ての3つの経路のうち、対象が1例またはごく少数で、その症例固有の新規性を報告するものはどれですか
3. 見立ての経路が決まった直後、次のレッスン以降で扱う「残る宿題」として正しいものはどれですか