外来の診察室は、いつも静かな戦場だ。限られた時間の中で、患者の言葉と身体が発する微細なサインを拾い上げ、診断という仮説を立て、検証していく。医師の仕事は、突き詰めれば「見る」ことだ。 そして「見る」力の差が、そのまま患者の運命を変えることがある。この本は、その「見る」について85週間書き続けた記録だ。
一度目は節穴だった
ある日の午後、一人の高齢女性が、ありふれた風邪の症状で外来を訪れた。咳、鼻水、微熱。聴診器を当て、喉を見ても、典型的な上気道炎の所見だった。僕は自然に「風邪ですね。暖かくして休んでください」と告げ、彼女を帰そうとした。
その時、彼女が診察室を出る間際に見せた、ほんのわずかな表情の歪みが気になった。痛みや苦しみとは少し違う、何か諦めに似た、それでいて訴えかけるような複雑な色合いだった。
僕は無意識に「待ってください」と声をかけていた。そしてもう一度、今度はずっと注意深く、彼女の顔を「見た」。
すると、見えてきた。
先ほどは「年齢相応のシミ」として脳が自動的に処理してしまった、右の頬にある小さな黒い点。よく見ると、わずかに盛り上がり、中心部が潰瘍化していた。それはただのシミではなかった。悪性の皮膚腫瘍の初期像だった。
あの日、最初の診察で彼女を帰していたら、手遅れになっていたかもしれない。
僕の「目」は、一度は節穴だった。しかし二度目に「見た」時、節穴は節穴ではなくなった。
この本を書き始めたのは、その差は何だったのかを言語化したかったからだ。
三つの肩書きを貫く一本の糸
僕は小児科医として日々診察室に立っている。同時に、京都芸術大学大学院の芸術学研究科で西洋美術史を修め、その前は写真家を志していた。
三つの肩書きは、はた目にはバラバラに見える。小児科医、美術史研究者、元写真家。接点が見えない。
しかし、僕の中では、この三つは同じ一本の糸で繋がっている。その糸の名前が、「見る」ということだ。
臨床で培う「見る」力と、美術鑑賞で培う「見る」力は、まったく別物に見えて、実は同じ筋肉を使っている。どちらも、表層の情報を超えて、その奥にあるものを捉えようとする行為だ。どちらも、訓練によって磨かれ、怠けれ衰える。どちらも、生涯をかけて鍛え続ける価値がある。
本書で主張したいことはシンプルだ。
美術鑑賞は「知覚訓練」である。
そしてその訓練は、人生のあらゆる場面、医療、ビジネス、教育、日常生活の質を、根本から変える力を持っている。
本書の構成(85週・全7部)
85週間、毎週note.comで書いた。一週一本、合計85本。本書はそのすべてを一冊にまとめたものだ。内容は7部構成になっている。
| 部 | テーマ | 主な問い |
|---|---|---|
| 第一部 | 知覚の基礎 | 網膜は映すが「見る」のは脳。予測的処理・曖昧性・身体性・AIとの違い |
| 第二部 | 色彩の深層 | マティスの緑の鼻、ニュートンとゲーテの200年論争、色彩恒常性、色覚多様性 |
| 第三部 | 形と心理 | 線、遠近法、セザンヌ、キュビスム、ゲシュタルト、色彩心理学 |
| 第四部 | 絵画の技法と文化 | 日本画と西洋画の余白、構図、デッサン、油彩、水彩、アクリル、版画 |
| 第五部 | 多様なメディアと脳 | 彫刻、陶芸、建築、インスタレーション、デジタル、写真、オプ・アート |
| 第六部 | ビジネスと教育 | 解像度、リーダーシップ、STEAM教育、マインドフルネス、AIとの対比 |
| 第七部 | 医療と結論 | 観察の解像度、患者の物語、チームの視点、癒しの空間、終わりなき旅 |
読者へのお願い
読者に一つだけお願いしたいことがある。
この本を、第1回から順番に読んでほしい。途中から拾い読みしても理解できるように書いたつもりだが、本書の真価は、85週間の問いの軌跡そのものにある。毎週、一つの問いを抱えて書き続けた時間の流れを、そのまま追体験してほしい。
そしてできれば、読み終えたあと、もう一度だけ、あなた自身の日常を「見て」ほしい。
毎日通る道。毎日会う人。毎日触れるもの。毎日見ているはずなのに、実はもう何年も「見ていない」ものばかりだと、気づくはずだ。気づけたなら、その瞬間が、あなた自身の知覚訓練の始まりだ。
最初の問いから始める。「見ている」と「見えていない」の間に、いったい何があるのか、という問いから。
2026年春 岡本 賢
このまえがきの要点
- 「見る」とは脳の能動的な処理であり、一度目の節穴と二度目の発見の差を言語化することが本書の出発点
- 小児科医・美術史研究者・元写真家という三つの肩書きを貫くのは「見る」という同じ筋肉
- 美術鑑賞は「知覚訓練」であり、医療・ビジネス・教育・日常を根本から変える力を持つ
- 全85週・7部構成の問いの軌跡を、できれば最初から順に追体験してほしい