最も身近な視覚メディアである「写真」を取り上げる。写真は、現実をありのままに写し取る機械の目だと考えられがちだ。本当にそうか。写真家は、無限に流れる現実の中から、特定の被写体を、特定の構図で、特定の光の条件下で、コンマ数秒の「決定的瞬間」に切り取る。この「フレーミング(枠切り)」という行為は、世界から何を選び取り、何を捨象するかという、極めて能動的な「選択的注意」の訓練に他ならない。
「現実の断片」という名のフィクション
写真は、その発明以来、客観的な記録のメディアとして信頼されてきた。しかし、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンが提唱した「決定的瞬間」という概念は、写真の本質が単なる記録ではなく構成的な芸術であることを示唆する。彼は、意味のある形、情念、構図が完璧に調和するごくわずかな瞬間を捉えるために、街を彷徨った。
彼の一枚の写真は、その前後に無限に続いていたであろう凡庸な現実から切り離されている。フレームの外側で何が起きていたのか、僕たちは知る由もない。写真は、連続する時間と空間からある特定の断片を「フレーミング」することで、その断片に特別な意味と物語を与える。それは現実そのものではなく、あくまで現実の解釈であり、ある種の「フィクション」だ。僕たちは、フレームの外側を無意識に「ないもの」として扱い、フレームの内側だけが世界のすべてであるかのように錯覚する。
選択的注意とバイアス
写真家がフレームを決定するプロセスは、僕たちの脳が日常的に行っている「選択的注意(Selective Attention)」の働きとよく似ている。僕たちの脳は、毎秒膨大な量の視覚情報に晒されているが、そのすべてを意識的に処理することはできない。そのため、脳は過去の経験や現在の関心に基づいて、重要だと判断した情報だけを選び出し、それ以外を無視している。
写真というメディアは、この選択的注意を強力に誘導する。報道写真は、ある特定の側面を強調し、別の側面を隠すことで、世論を特定の方向へと導く力を持つ。同じ紛争地帯の写真でも、兵士の勇敢な姿を写すか、傷ついた市民の姿を写すかで、鑑賞者が抱く印象は180度変わる。僕たちは、写真が客観的な真実であると信じれば信じるほど、その背後にあるフレーミングの意図、つまり「選択と排除」のバイアスに無自覚になってしまう。
飛躍(洞察):診断における「フレーミング効果」
どこにフレームを当てるかによって現実の解釈が大きく変わってしまう「フレーミング効果」は、臨床医の診断プロセスにおいても重大な認知バイアスとして現れる。
ある患者が「胸が痛い」と訴える。この訴えに対して、医師がどのような「フレーム」を当てるかで、その後の思考は大きく左右される。
- フレームA:「心臓疾患」:医師は心筋梗塞や狭心症を疑い、心電図や心エコーといった循環器系の検査に注意を集中させる。他の可能性、たとえば逆流性食道炎や肋間神経痛といった消化器系・整形外科系の疾患は、フレームの外側へと追いやられ、見落とされるリスクが高まる。
- フレームB:「精神的ストレス」:患者が最近強いストレスを抱えているという情報があれば、医師は心因性の症状を疑い、問診を中心に話を進める。この場合、器質的な疾患の兆候を見逃す危険性がある。
最初の診断仮説(=フレーム)に固執し、それに合致する情報ばかりを集め、反証する情報を無視してしまう傾向は、「確証バイアス」として知られる。優れた臨床医は、自分の思考が常に何らかのフレームに囚われていることを自覚し、意識的にフレームをずらしたり、複数のフレームを同時に当てはめたりすることで、このバイアスの罠から逃れようと努める。
「この患者は、本当に心臓が悪いのか。他の可能性はないか」と自問し続ける態度は、写真家が安易な構図を避け、被写体との距離やアングルを変え続ける探求のプロセスと本質的に同じものだ。
まとめ
写真は、僕たちの脳の「選択的注意」の働きと、その危うさを映し出す格好の鏡だ。
この章のポイント
- 写真の「決定的瞬間」はフレーミングによる現実の解釈であり、構成的なフィクション
- 写真は脳の選択的注意を強力に誘導し、選択と排除のバイアスを生む
- 診断におけるフレーミング効果と確証バイアスは、誤診の重要なリスク要因
- 優れた臨床医はフレームをずらし続け、写真家のように複数のアングルから被写体を探求する