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第38回:無限スクロールとフィルターバブル—デジタル時代が変える「注意」の向け方

現代に生きる僕たちの知覚環境は、歴史上、かつてないほどの変革の只中にある。その中心にあるのが、デジタル技術、特にスマートフォンとソーシャルメディア(SNS)の普及だ。

手のひらの中の新しい知覚環境

僕たちは毎日、手のひらの上の小さな画面から、無限に流れ込んでくる情報を浴び続けている。この新しい環境は、僕たちの「注意」の向け方、そして世界の「見方」そのものを、どう変えつつあるのか。「無限スクロール」と「フィルターバブル」という二つの現象に焦点を当てて考えていく。

アテンション・エコノミー:あなたの「注意」が商品になる

現代のデジタルプラットフォームの多くは、「アテンション・エコノミー(注意の経済)」と呼ばれるビジネスモデルの上に成り立っている。ユーザーの「注意」そのものを希少な資源とみなし、それをできるだけ長く自社のプラットフォーム上に引きつけ、広告主などに販売することで利益を上げる仕組みだ。

この経済圏では、僕たちの注意を惹きつけるため、あらゆる工夫が凝らされている。その代表例が「無限スクロール」だ。SNSのタイムラインを下にスワイプし続けると、コンテンツが次から次へと途切れることなく表示される。そこには「ページの終わり」という区切りがない。スロットマシンのレバーを引くのと似た心理的な効果(間欠強化)を生み出し、ユーザーを「次は何が出てくるだろう?」という期待感で画面に釘付けにする。

注意のモード内容
ディープ・アテンション一つの対象に深く集中する注意
ハイパー・アテンション多くの情報を素早く次々と処理する注意

この結果、僕たちの注意は、一つの対象に深く集中する「ディープ・アテンション(深い注意)」から、多くの情報を素早く、次々と処理する「ハイパー・アテンション(過剰な注意)」へとシフトしていると指摘されている。深く考えることよりも、素早く反応することが得意になる一方で、長時間一つのことに集中する能力が低下する。

フィルターバブル:あなただけの「快適な」世界

もう一つの重要な現象が、「フィルターバブル」だ。プラットフォームのアルゴリズムが、ユーザーの過去の閲覧履歴や「いいね」といった行動を分析し、その人が好みそうな情報だけを優先的に表示するようになることで、「泡(バブル)」の中にいるかのように、自分と異なる意見や多様な情報から隔離されてしまう状態を指す。

アルゴリズムが作り出すこの「快適な」情報環境は、短期的には心地よい。しかし、長期的には、自分の考えを補強する情報ばかりに触れることで、思想が先鋭化し、異なる意見に対する不寛容さが生まれる「エコーチェンバー現象」を引き起こす危険がある。

僕たちは、自分では世界を広く見渡しているつもりでも、アルゴリズムによって巧妙にパーソナライズされた、偏った世界を見ているに過ぎない。

自分が見ているものが、世界のすべてではない。この事実に自覚的になることが、フィルターバブルの時代を生きる僕たちには不可欠だ。

まとめ:診断における「情報汚染」との戦い

デジタル時代がもたらす知覚の変化は、臨床医である僕にとっても、他人事ではない。現代の医療現場は、インターネット上に溢れる玉石混交の医療情報、いわば「情報汚染」との戦いの場でもある。

多くの患者は、事前にネットで自身の症状を調べ、「自分はこの病気に違いない」という強い思い込み(トップダウン処理)を持って来院する。この思い込みは、時として診断の助けになることもあるが、多くの場合、フィルターバブルの中で強化された偏った情報であり、客観的な診断の妨げとなる。

臨床医の役割は、患者が持ち込んだ情報や不安を受け止めつつも、それに流されることなく、専門家として客観的な事実(ボトムアップ情報)を収集し、統合して、最も確からしい診断を下すことだ。患者をフィルターバブルの外に連れ出し、より広い視野から自身の状態を捉え直す手助けをすることでもある。

アート鑑賞は、このフィルターバブルから抜け出すための、強力な武器だ。アートは、アルゴリズムが予測するような「快適な」情報ではない。僕たちの理解を超えた、予期せぬ問いを投げかけてくる。自分の「好み」や「理解」の範囲を超えた作品に意識的に触れることは、凝り固まった知覚のパターンを壊し、世界を新たな目で見つめ直すための、最高の訓練だ。

この章のポイント

  • アテンション・エコノミーは無限スクロールで注意を商品化し、間欠強化で画面に釘付けにする
  • ディープ・アテンションからハイパー・アテンションへの注意様式の移行が起きている
  • フィルターバブルとエコーチェンバーが思想を先鋭化させ、世界の見え方を偏らせる
  • アートはアルゴリズムが予測できない「不快適」な情報。バブルを破る知覚訓練の武器になる

ハッシュタグ #アテンションエコノミー #フィルターバブル #無限スクロール #SNSと脳 #知覚訓練 #現代社会 #連載