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第45回:「版」が生み出す間接的な視線—版画の複製芸術と聴診器のアナロジー

「版画」の世界に足を踏み入れる。版画は、木や金属でできた「版(マトリックス)」を介して、同じイメージを複数生み出すことができる「複製芸術」だ。アーティストの手が作品に直接触れない、この「間接性」は、アートのあり方と僕たちのものの見方に、どのような変化をもたらしたのか。

「版」という思考のフィルター

版画の制作プロセスは、絵画とは根本的に異なる。画家がキャンバスに直接描くのに対し、版画家はまず「版」を作らなければならない。木版画なら彫刻刀で木を彫り、銅版画ならニードルで金属板に線を刻む。そして、その版にインクを詰め、プレス機で紙に圧着することで、初めてイメージが「転写」される。

このプロセスには、二つの重要な思考の転換が伴う。

  1. 反転と思考の計画性:特に木版画や銅版画では、版に彫られたイメージは、最終的に紙に刷られたときに左右反転する。アーティストは、常に完成形を頭の中で反転させながら制作を進める必要がある。また、彫り間違えれば修正は困難なため、極めて計画的な思考が求められる。
  2. 間接性と身体性の変容:アーティストの手は、絵具や筆ではなく、彫刻刀やニードルといった道具を介して、硬い「版」と対話する。その身体的な感覚は、柔らかい絵筆で描くのとは全く異なる。この「間接性」は、作品から作家の生々しい感情の筆致を遠ざけ、より客観的で構築的な線や形を生み出す。

「版」は、アーティストの思考と身体性を濾過(ろか)し、変容させる一種の「フィルター」として機能する。

浮世絵と「視覚の民主化」

版画の「複製可能」という特性が、社会に大きなインパクトを与えた例が、日本の江戸時代に花開いた「浮世絵」だ。浮世絵は、絵師、彫師、摺師(すりし)という専門家たちの分業によって制作される、高度な商業メディアだった。

一点ものの高価な肉筆画とは異なり、版画である浮世絵は大量生産が可能で、価格も手頃だったため、武士だけでなく町人の間にも広く普及した。これにより、多くの人々が同じイメージ(葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」)を所有し、鑑賞し、話題にすることが可能になった。アートが一部の特権階級のものであった時代から、大衆が共通の視覚文化を享受する時代への転換だ。版画は、「視覚の民主化」を推し進めた。

飛躍(洞察):聴診器という「間接的な聴覚」

「版」を介した間接的な知覚プロセスは、臨床医である僕にとって、医療史におけるある発明と深く重なる。1816年にフランスの医師ルネ・ラエンネックが発明した「聴診器」だ。

聴診器が登場する以前、医師は患者の胸に直接耳を当てて心臓や肺の音を聴く「直接聴診」を行っていた。この方法は、患者との距離が近く、プライバシーの問題や、音が不明瞭であるという限界があった。

聴診器は、医師の耳と患者の身体との間に「間接的な空間」を作り出した。それはまさに、版画における「版」と同じ役割を果たす。

版画聴診器
版がイメージを濾過する聴診器が音を濾過する
版画がイメージを共有可能にする聴診器が所見を共有可能にする

聴診器は、心音や呼吸音といった特定の音を増幅・分離し、不要なノイズを遮断する。これにより、医師はより客観的で分析的な聴診が可能になる。版画が、作家の主観的な筆致を整理し、構築的なイメージを生み出すプロセスと似ている。「ザー」という心雑音や、「プツプツ」という肺の副雑音といった聴診器による所見は、言語化され、他の医療者と共有可能な「客観的データ」となる。浮世絵が多くの人々に同じ視覚体験を共有させたこととアナロガスだ。

道具は、僕たちの身体能力を拡張するだけでなく、僕たちの知覚のあり方そのものを変容させる。

まとめ

版画という複製芸術は、「版」という媒介物を挟むことによって、計画的で間接的な思考をアーティストに促した。その複製可能性が「視覚の民主化」をもたらし、さらにその「間接性」は、聴診器の発明による聴覚の客観化と深く響き合う。

この章のポイント

  • 版画は「版」という媒介を挟むことで、計画的で間接的な思考と客観的な線を生み出す
  • 浮世絵の複製可能性が「視覚の民主化」を推し進め、共通の視覚文化を生んだ
  • 聴診器は患者と医師の間に「間接的な空間」を作り、聴覚を主観から客観へ変えた
  • 道具は身体能力を拡張するだけでなく、知覚のあり方そのものを変容させる