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あとがき 問いは止まらない

30回の連載を終えて。問いは止まらない。

30回書いた。書き終えて思うのは、「答えが出た」ではなく、「問いが増えた」だった。連載を始めた頃、僕はどこかで決着をつけたがっていた。AIがこれだけ賢くなっても人間には価値がある、と。そう言い切れる根拠を見つけたくて、書き始めた部分がある。見つからなかった。代わりに見つけたのは、「言い切れなくてもいい」という感覚だった。

外来の解像度が変わった

30回を書く間に、僕の外来は変わった。

以前は、正しい診断を下すことに意識が集中していた。鑑別診断を走らせ、検査をオーダーし、治療方針を決める。それが仕事だと思っていた。間違いではない。今もそれは仕事の中核だ。

でも、この連載を書きながら外来に立つと、別のものが見えるようになった。

お母さんが椅子に座る角度。子どもが僕の顔を見上げるときの目の動き。「大丈夫です」と言いながら唇が少し震えていること。

それらは、診断に直結する情報ではない。カルテに書ける情報でもない。でも、目の前の人間がどういう状態にあるかを伝えている。

有限性を意識するようになったからだ。

この子の成長を診られるのは、あと何回だろう。このお母さんの不安に寄り添えるのは、今この瞬間しかない。そう思うと、外来の1コマ1コマが重くなった。重くなることは、つらいことではなかった。むしろ、集中力が増した。

読者が、自分の問いを見つけていた

連載の途中で、何人かの読者から言葉をもらった。印象に残っているものがある。

「第15回を読んで、自分が感じていた違和感の正体がわかった気がします」

AIを使いこなしているはずなのに、何かが物足りない。その「物足りなさ」は弱さではなく、身体が発しているシグナルだった、と。

「子どもの前に立つ仕事をしています。第6回のAIの共感の話を読んで、自分が日々やっていることの意味を改めて考えました」という保育士の方からの感想。

「第25回の退屈の話が刺さりました。最近、何もしない時間が怖くてスマホを開いてしまう。それ自体が問題だったんですね」というコメント。

どれも、僕が書いたことの答え合わせではなかった。読んだ人が、自分の文脈で、自分の問いを見つけていた。

本を書くとはこういうことだ。著者の答えを渡すのではなく、読者が自分の問いにたどり着くための補助線を引くこと。

古くなっていい

正直に書く。連載の途中で、何度か迷った。

AIはますます賢くなっていく。僕が「人間にはこれがある」と書いたことの多くが、数年後には技術的に再現されるかもしれない。共感も、直感も、創造性も。再現できたように見えるものが増えていくだろう。

そのとき、この本に書いたことは古くなるのか。

わからない。

でも一つだけ確かなことがある。AIがどれだけ進化しても、この本を書いた人間は死ぬ。読んでくれた人も死ぬ。有限の時間を使って書き、有限の時間を使って読んだ。そのこと自体は、技術がどう進んでも変わらない。

この本を誰に読んでほしいか

AIに漠然とした不安がある人。不安があるけれど、目を背けたくない人。ラッダイトにはなりたくないが、無条件の楽観にも乗れない人。

AIを使いこなしている人にも読んでほしい。毎日AIと仕事をしている人ほど、「自分はなぜこの仕事をしているのか」という問いに突き当たることがあるはずだ。その問いに向き合う時間を、この本が提供できたらいい。

子どもに関わる仕事をしている人にも届いてほしい。小児科医、保育士、教師、親。AIネイティブの子どもたちがどう育っていくのかを、最前線で見ている人たち。

そして、身体を使って何かをしている人。スポーツをしている人、料理をする人、手で物を作る人。あなたがやっていることの意味は、この本の中にある。

変わったことと、変わらなかったこと

書き終えて、僕の中で変わったことと変わらなかったことがある。

30回を書き終えて
変わったことAIとの距離感。敵でも味方でもない。道具であり、鏡であり、パートナー
変わらなかったこと(1)外来で子どもの顔を見たときの集中力・聴診器を当てたときの緊張感
変わらなかったこと(2)「一人で背負わせない」という衝動。あの夜の無力感がエンジンだ

AIと一緒に仕事をすればするほど、「これは自分にしかできない」と感じる瞬間が研ぎ澄まされていく。それは脅威ではなく、贈り物だった。

「一人で背負わせない」という衝動。あの夜の記憶は消えないし、消す必要もない。あの無力感がエンジンだ。みなとんを作り、連載を書き、この本を出す。全部、同じ根から生えている。

「受け入れる」ではなく、「味わう」

「有限性を受け入れる」という言い方は、少し語弊がある。

受け入れるというより、味わう、に近い。

朝5時にバーベルを握ったとき、心拍が180を超えたとき、僕は自分が壊れうる存在であることを味わっている。外来で子どもの成長を3ヶ月ごとに追うとき、時間が一方向にしか流れないことを味わっている。夜、コードを書きながら眠気と戦うとき、自分のエネルギーが有限であることを味わっている。

AIにはこの「味わう」がない。

味わえないことが弱点だと言いたいのではない。味わえることが、僕たちの特権だと言いたい。

この本は、僕一人では書けなかった

最後に。

この本を書いたのは、僕一人ではない。

AIと一緒に書いた部分がある。正確に言えば、AIに壁打ちしてもらい、AIに構成を相談し、AIに下書きを読んでもらった。その過程で、自分一人では到達できなかった問いにたどり着いた場面がある。

それは矛盾ではない。AIを全力で使い倒して、そのぶん、もっと深く人間について考える。「AIに勝つな、人間になれ。」とはそういうことだ。

あなたは今、最後のページにいる

あなたは今、この本の最後のページにいる。

ここまでの時間は、もう戻らない。あなたの有限の時間の一部が、この本に使われた。

その時間に見合うものを渡せたかはわからない。でも、一つでも問いが残っていたら、それで十分だと思う。

問いがある限り、考え続ける理由がある。考え続ける理由がある限り、人間でいる意味がある。

失うものがなくなった日に、問いは止まる。その日はまだ来ない。

2026年春 岡本賢

このあとがきの要点

  • 30回を書いて見つけたのは「答え」ではなく、「言い切れなくてもいい」という感覚だった
  • 有限性を意識した外来は、1コマ1コマが重くなり、集中力が増した
  • 本の役割は著者の答えを渡すことではなく、読者が自分の問いにたどり着くための補助線を引くこと
  • 有限性は「受け入れる」ものではなく、「味わう」もの。それが人間の特権
  • 問いがある限り、考え続ける理由がある。考え続ける理由がある限り、人間でいる意味がある