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AIが書いた文章を「いい文章」だと感じる自分が怖い

ある実験の話をする。被験者にふたつの詩を読ませる。一方は著名な詩人、もう一方はAI。読む前にはどちらか知らせない。被験者の大半は、AIの詩を「より洗練されている」と評価した。 その後の正解率は偶然レベルだった。つまり、人は区別できていない。

違和感がほぼ消えた

外来の合間に、論文の要約や患者向け説明文をAIに書かせることがある。出てくる文章は、正確で、読みやすく、適切な温度感を持っている。

最初の頃は、「これはAIが書いたな」という違和感があった。どこか滑らかすぎる、という感じ。

でも今は、その感覚がほぼない。

読んで、「いい文章だ」と思う。

そして後から、「あ、これ自分じゃなくてAIが書いたやつだ」と気づく。

その瞬間の、妙な気持ち悪さ。自分の感動がどこか嘘くさくなる感じ。

書き手を知ると受け取り方が変わる

なぜ、書き手を知ると受け取り方が変わるのか。

文章そのものは変わっていない。同じ言葉が、同じ順番で並んでいる。でも「人間が書いた」と知った瞬間に、読み手の中で何かが動く。

「この人はこの言葉を選ぶとき、何を感じていたんだろう」

その問いが立ち上がる。

AIに同じ問いは立たない。少なくとも今はまだ。「このAIはこの言葉を選ぶとき、何を感じていたんだろう」とは思わない。

つまり、感動の一部は文章そのものではなく、「書き手の意識がここにある」という前提から来ている。

「言葉を選んでくれた」が伝わる

ある患者の保護者が泣いていた。

外来で、お子さんの慢性疾患について長い時間をかけて話した後のことだ。帰り際、「先生が言葉を選んでくれているのがわかって、それだけで気持ちが楽になりました」と言われた。

内容ではない。

「言葉を選ぶ行為の背後にある、僕の意識」が伝わっていた。

AIは言葉を選ぶ。でも、悩まない。迷わない。「この言葉にすべきか、あの言葉にすべきか」を何時間も考えて眠れなくなったりしない。

その「迷いの痕跡」が、文章のどこかに滲み出ている。

あるいは、それは錯覚なのか

あるいは、これは僕たちの錯覚なのか。

「人間が書いた」と聞かされているから、「迷いの痕跡」を感じ取っているだけで、実際にはそんなものはない、という可能性。

盲検試験では区別できなかったのだから。

評価軸結果
盲検での好ましさAI文章のほうが「洗練されている」
AIか人間かの判別偶然レベル
ラベルを知った後の感じ方「人間が書いた」と知ると受け取り方が変わる

文章の評価は、どこまでが文章の質で、どこまでが「誰が書いたか」という情報によるものなのか。

僕には答えがない。ただ、一つ気になることがある。

ラベルが意味をなさなくなる日

AIが書く文章がどんどんうまくなっている、という事実。

今から5年後、10年後、AIが書いた小説、AIが書いたエッセイ、AIが書いた詩が市場の大半を占めるようになったとき。

読み手は何を求めて読むのか。

「これは人間が書いた」というラベルが、プレミアム価値を持つようになるのか。

それとも、「書き手が誰か」という問いそのものが、やがて意味をなさなくなるのか。

その日が、怖い

「いい文章だ」と思った後に「AIが書いたやつだった」と気づく、あの気持ち悪さ。

その感覚が薄れていく日が来る。

その日が、怖い。

なぜ怖いのか、まだうまく言語化できない。ただ、何か大切なものが静かに変わっていく予感がある。

この章のポイント

  • 盲検実験では人間はAIの文章を「より洗練」と評価し、書き手の判別もできない
  • それでも「人間が書いた」と知ると受け取り方が変わる。感動は「書き手の意識がそこにある」という前提に依存している
  • 「言葉を選んでくれた」という背後の意識が伝わる経験が、AIの優れた出力に欠けているもの
  • 違和感が薄れていく日が来る。何が静かに失われるのか、まだ言語化できない