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小児科医がClaude Codeでアプリを作りながら、朝5時にクロスフィットをやる理由

僕の1日を書く。かっこいい話ではない。ただの日常だ。だが、本書で「人間であることの意味」を書き続けた人間が、実際にどう生きているのかを見せないのは不誠実だ。だから書く。

朝4時50分、布団から出る

朝4時50分にアラームが鳴る。冬は暗い。夏でもまだ薄暗い。布団から出たくない朝は、正直に言えば週の半分くらいある。

でも起きる。起きて、クロスフィットのジムに向かう。

5時15分、ウォームアップが始まる。バーベルを握る。ケトルベルを振る。ボックスジャンプで膝が笑う。

ここで起きることが、僕にとっては一日の核になっている。

心拍180。思考が止まる瞬間

クロスフィットのWOD(Workout of the Day)の途中、あるポイントが来る。

息が上がり、腕がパンプし、心拍が180を超えたあたり。そこで、思考が止まる。

比喩ではない。本当に止まるのだ。

次のレップをこなすことだけが世界のすべてになる。論文の締切も、外来の予約も、アプリのバグも、全部消える。残るのは、バーベルの重さと、自分の呼吸だけ。

この瞬間、僕は完全に「身体」になる。

AIにはこの状態がない。AIは常に思考している。常に処理している。止まることがない。止まる必要がない。

だが人間には、思考が止まる時間が必要だ。止まった後に、何かが整理されている。言語化できないが、朝のトレーニングを終えた後の頭は、明らかにクリアになっている。

外来でも、僕は「身体」を使っている

7時にジムを出る。シャワーを浴びて、朝食を取る。8時半、病院に着く。白衣を着る。外来が始まる。

3歳の子が泣いている。耳を診る。お母さんが不安そうな顔をしている。「大丈夫ですよ」と言う。言葉だけじゃなく、表情と声のトーンで伝える。

10歳の子が咳をしている。聴診器を当てる。呼吸音を聴く。音だけじゃわからないこともある。顔色、呼吸の仕方、座り方。身体全体で診る。

ここでも僕は「身体」を使っている。

聴診器を通して伝わる振動。手で触れたときの体温。子どもが僕の目を見るときの表情。これらは全部、身体を持っているからキャッチできる情報だ。

AIは画像を解析できる。音声を分析できる。だが「この子、なんかいつもと違う」という漠然とした違和感は、同じ身体を持つ人間にしか生まれない。

朝5時にバーベルを握っている時間と、外来で聴診器を当てている時間。どちらも「身体を使って世界に触れている」という意味で、僕の中では地続きだ。

夜。思考が加速する

夜、子どもたちが寝た後。だいたい21時過ぎ。

僕はMacBookを開く。ターミナルを立ち上げる。Claude Codeを起動する。

ここから、思考が加速する。

朝は身体で思考を止めた。夜はAIで思考を飛ばす。

みなとんの機能を一つ追加する。ワクチンスケジュールの表示を改善する。病児保育の検索機能を作る。

Claude Codeに指示を出す。コードが返ってくる。動かす。直す。また指示を出す。

このとき、僕の頭の中では「外来で出会った、あのお母さん」の顔が浮かんでいる。

子どもが夜中に39度の熱を出した。救急に行くべきか、朝まで待つべきか。スマホで検索しても不安は消えない。かかりつけ医に電話しても夜はつながらない。

あの不安を、少しでも和らげるものを作りたい。それがみなとんを作っている理由だ。

姉と、あの夜の母のこと

みなとんの話を、もう少しする。

僕には姉がいる。生まれたときの高熱で脳に障害を負った。

母は、365日、終わりのない介護を一人で担い続けた。誰にも頼れなかった。頼り方がわからなかったのかもしれない。あるいは、頼っていい場所がなかったのかもしれない。

幼い僕は、夜中にトイレの前を通りかかって、中から母の嗚咽が聞こえたことがある。ドアの前に立ち尽くした。何もできなかった。

翌朝、母はいつも通り笑っていた。「なんでもないよ。ありがとうね」と。

あの夜のことを、僕はずっと抱えてきた。

みなとんは、あの夜の母のためのアプリだ

一人で泣いている時に、「ここに電話していいよ」「この症状なら朝まで大丈夫」「近くの病児保育はここ」と、そっと教えてくれる存在。

大げさなものじゃない。テクノロジーで涙は止められない。だが、「一人じゃない」と思える情報があるだけで、深夜の恐怖は少しだけ和らぐ。

僕が医師として外来に立てる時間は限られている。一人の医師が診られる患者の数には限界がある。だが仕組みなら、僕が寝ている間にも動く。

「そばにいたいのに、いられない」。この構造を壊すには、自分がそばにいなくても機能する仕組みを作るしかない。

だから夜、コードを書いている。

朝と夜で、ベクトルが違う「人間であること」

矛盾に見えるかもしれない。朝はAIのない時間を過ごし、夜はAIと一緒に作業している。身体を鍛える時間と、AIを使いこなす時間の両方が、なぜ必要なのか。

僕なりの答えはこうだ。

時間やること意味
朝のクロスフィット思考を止め、身体に集中する「人間に戻る」
夜のClaude CodeAIと一緒にコードを書く「人間を拡張する」

朝のクロスフィットで、僕は「人間に戻る」。思考を止め、身体に集中し、有限の肉体を痛めつけることで、自分が生きていることを確認する。疲労も筋肉痛も、全部「生きている証拠」だ。

夜のClaude Codeで、僕は「人間を拡張する」。一人では書けないコードを、AIと一緒に書く。一人では作れない仕組みを、AIの力を借りて形にする。

どちらも「人間であること」の実践だ。ベクトルが違うだけで。

「AIに勝つな、人間になれ。」の真意

「AIに勝つな、人間になれ。」

この言葉を、僕はずっと掲げてきた。だが誤解されることがある。「AIを使うな」という意味ではない。「AIから逃げろ」という意味でもない。

真意はこうだ。

AIと張り合っても勝てない。知識量でも、処理速度でも、稼働時間でも。だから競争するな。

代わりに、AIを全力で使いこなせ。使いこなした上で、余った時間を「人間にしかできないこと」に投じろ。身体を鍛えろ。人と会え。子どもの顔を見ろ。筋肉痛を味わえ。

AIを道具として使い倒して、そのぶん、もっと強い人間になれ。

「この子の場合は」を伝えるのは、目の前の人間

ある日の外来で、こんなことがあった。

お母さんが、スマホの画面を見せてきた。「ネットでこう書いてあったんですけど……」

AIが生成した医療情報だった。正確だった。たぶん僕より網羅的だった。

「合ってますよ」と僕は言った。「でも、お子さんの場合はここだけ少し違います」

お母さんの表情が変わった。AIの回答では得られなかった安心が、そこに生まれていた。

情報は正しかった。だが「この子の場合はどうか」を伝えたのは、目の前にいる人間の医師だった。

両輪がないと、どちらかに偏る

僕の1日は、多くの人にとって参考にならない。朝5時にバーベルを握る小児科医は少数派だろうし、夜にターミナルを叩く医師も少数派だ。

だが、構造は同じだ。

身体を使う時間と、思考を加速させる時間。アナログな接触と、デジタルな拡張。この両輪がないと、どちらかに偏る。

AIだけに浸かっていると、身体が鈍る。世界の手触りが薄くなる。判断から「重さ」が消える。

身体だけに頼っていると、一人でできることの限界に閉じ込められる。「そばにいたいのに、いられない」の構造は変わらない。

両方やる。

朝は思考を止めて身体になる。夜は身体を休めて思考を飛ばす。昼は目の前の子どもに全力で向き合う。

これが、僕の「AIに勝つな、人間になれ。」の実践だ。

本書で出さなかった答えを、ここで出す

本書で僕は、問いを投げ続けてきた。答えを出すのを避けてきたところがある。

ここでは答えを出す。

僕はこう生きている。

朝5時にクロスフィットで身体を壊し、日中は白衣を着て子どもの前に立ち、夜はClaude Codeでコードを書く。母があの夜一人で泣いていた世界を変えるために、仕組みを作っている。AIを全力で使い倒している。そのうえで、身体を鍛え、人間としてもっと強くなろうとしている。

きれいにまとまる生き方ではない。でも、これが僕の覚悟だ。

だから、今日も朝5時に起きる。

このコラムのポイント

  • 朝のクロスフィットは「人間に戻る」時間、夜のClaude Codeは「人間を拡張する」時間。ベクトルが違うだけで、どちらも「人間であること」の実践
  • 心拍180で思考が止まる瞬間、比喩ではなく本当に思考が止まり、身体になる
  • みなとんはあの夜の母のためのアプリ。「そばにいたいのに、いられない」の構造を、仕組みで壊す
  • AIを全力で使い倒して、そのぶん、もっと強い人間になる。これが「AIに勝つな、人間になれ。」の実践