ある製薬会社がAI創薬に本格参入して、3年で新薬候補の開発コストを90%削減した、というニュースを読んだ。同時に、その会社の研究者が匿名でこう語っていた。「我々はもう仮説を立てない。AIが最適解を出す。研究者の仕事は、AIの提案を承認することになった」。創薬の速度は上がった。でも何かが変わった。その「何か」が何なのか、研究者自身も言語化できていなかった。
10年の試行錯誤が、判断力を作る
医師になりたての頃、僕は外来で何度も判断を誤った。軽く見ていた子どもが翌日入院した。重篤だと思った子どもが元気に帰っていった。自信を持って下した診断が覆された。
そのたびに、なぜ間違えたかを徹底的に考えた。教科書を読み返した。先輩に相談した。同じ状況の次の患者で、また少し違う判断をした。
10年かけて、何百回もこれを繰り返した。その試行錯誤の堆積が、今の僕の判断力を作っている。
AIは試行錯誤しない。悔しさがない
AIは試行錯誤をしない。
正確に言うと、学習の過程で莫大な数の「試行錯誤」を内部的に行う。でもその試行錯誤は、AIが「感じる」ものではない。損失関数の最小化という数値的な調整だ。
間違えたことで眠れなくなる、という体験がない。失敗が恥ずかしくて、翌日の外来に行きたくない、という感覚がない。
悔しさがない。だから、その悔しさをバネにする成長もない。
失敗から学ぶ機会を奪われた研修医は、10年後に何になるのか
AIを使ったシステムが医療に入ってきたとき、ある変化が起きた。
研修医の判断ミスが減った。同時に、研修医の「なぜ間違えたか」という反省の機会が減った。
AIが正解を先に示すから、大きく外れる前に修正される。効率的だ。患者への影響も小さくなる。これは良いことに見える。
でも、失敗から学ぶ機会を奪われた研修医は、10年後に何になるのか。
ペニシリンも、ポスト・イットも、X線も。失敗から生まれた
ペニシリンは偶然の発見だった。細菌培養の実験を失敗したフレミングが、カビに気づいた。
ポスト・イットは接着力が弱すぎる接着剤の失敗作だった。
X線は実験中の偶然の副産物だった。
失敗しなければ気づかなかったものが、世界を変えた。
AIは失敗を最小化するように設計されている。最適解に向かって最短経路を歩む。寄り道をしない。その代わりに、道の外に落ちているものを見つけられない。
創造は、失敗から生まれる
創造とは何か、という問いに戻る。
新しいものを作ることではない。誰も考えていなかった問いを立てることだ。
その問いは、計画から生まれない。失敗から生まれる。うまくいかなかったことの意味を考えているときに、突然姿を現す。
AIが失敗を排除した環境では、その種類の問いが生まれにくくなる。
失敗できる環境は、今や貴重な教育資源
僕は外来で、研修医に意図的に判断させる。AIの補助を一時的に外して、考えさせる。間違えても、すぐには修正しない。まずなぜそう判断したかを聞く。
非効率だとわかっている。だが、それをしないと育たない何かがある。
失敗できる環境は、今や貴重な教育資源だ。
試行錯誤を排除した環境から、新しいものは生まれるのか。失敗のない世界の人間は、何を作れるのか。
この章のポイント
- 10年分の試行錯誤の堆積が、判断力を作る。失敗で眠れなくなる夜が、医師を育てる
- AIは「損失関数の最小化」として試行錯誤するが、悔しさがない。悔しさのないところに、成長はない
- AIが判断ミスを減らすと同時に、「なぜ間違えたか」を考える機会も減らしてしまう
- ペニシリン・ポスト・イット・X線は失敗から生まれた。道の外に落ちているものは、最短経路を歩む者には見えない
- 失敗できる環境は、今や貴重な教育資源である