労働、仕事、活動
ハンナ・アーレントは1958年、人間の営みを三つに分けた。
労働(labor)。仕事(work)。活動(action)。
日本語だと労働と仕事の区別が曖昧だが、アーレントの分類は厳密だ。
The human condition of labor is life itself.
(ハンナ・アーレント『人間の条件』1958年)
労働とは、生命を維持するための反復的な営みだ。食べる、洗う、片付ける、処理する。終わりがない。やってもやっても次が来る。そして成果物が残らない。食事を作っても食べれば消える。掃除をしても汚れはまた積もる。
仕事は違う。仕事は耐久性のあるものを作る営みだ。テーブルを作る。建物を建てる。本を書く。完成すれば残る。世界に何かを加える行為だ。
活動はさらに違う。活動とは、他者との間で自分の固有性を示す営みだ。言葉を交わし、約束をし、新しいことを始める。アーレントにとって活動こそが人間を人間たらしめるものだった。
この三分類で、AIの影響を見てみる。
まず労働。カルテの記載、書類の転記、データの入力、メールの定型返信。これらは反復的で、成果物が残らず、生命維持(あるいは組織維持)のために必要な作業だ。AIはこの層をほぼ丸ごと吸収しつつある。
私の日常で言えば、紹介状の下書き、診療サマリーの作成、保険書類の記入。これらはAIがやってくれるようになった。以前は1日の診療時間の3割を占めていた作業が、1割以下になった。
次に仕事。診断プロトコルの設計、治療ガイドラインの作成、教育カリキュラムの構築。これらは耐久性のある成果物を生む。AIはこの層にも侵入し始めている。構造を設計し、草稿を書き、整合性をチェックする。人間の仕事の一部を代替し、残りを加速する。
では、活動はどうか。
「お子さんの熱、心配ですよね」
この一言は労働でも仕事でもない。目の前の保護者に向けて、その人の不安を受け取り、私という固有の人間として応答する行為だ。マニュアルにない。テンプレートにない。その瞬間の、その関係の中でしか生まれない。
AIは「心配ですね」と出力できる。しかしそれは言葉の出力であって、活動ではない。活動とは、語る者と聞く者の間に新しい現実が生まれる出来事だ。「大丈夫ですよ」という医師の言葉が保護者の肩の力を抜かせるとき、そこには二人の間の信頼という、出力では再現できないものが生まれている。
ダニエル・ピンクは『Drive』(2009年)で、動機を二つに分けた。外発的動機と内発的動機。外発的動機で動くタスク、つまり報酬や罰則で管理できる仕事は、アルゴリズム的だとピンクは言う。手順が決まっていて、正解がある。
Routine, not-so-interesting jobs require direction; nonroutine, more interesting work depends on self-direction.
(ダニエル・ピンク『Drive』2009年)
アルゴリズム的なタスクは、AIが最も得意とする領域だ。外発的動機で動く仕事を、AIが吸収する。
残るのは内発的動機で駆動される仕事。自律性(Autonomy)、熟達(Mastery)、目的(Purpose)。ピンクが挙げたこの三つは、アーレントの「活動」と重なる。自分で選び、深め、意味を見出す営みだ。
構造が見えてくる。
AIは労働を吸収する。仕事の一部も担う。しかし活動は代替できない。活動とは、固有の人間が、固有の他者との間で、固有の現実を生み出す営みだからだ。
あなたの1日のうち、どれが労働で、どれが仕事で、どれが活動か。
その仕分けが、AI時代に自分の時間をどう使うかの出発点になる。労働をAIに渡し、仕事でAIと協働し、空いた時間を活動に充てる。増幅器が最も価値を発揮するのは、この構造の中だ。