自分自身になれ
ニーチェの言葉として広く知られている一節がある。
Become who you are.
(原典はピンダロス。ニーチェが『善悪の彼岸』等で繰り返し引用)
自分自身になれ。
ニーチェがこの言葉を好んだ理由は明快だ。人間は最初から「自分自身」ではない。社会の期待、常識、慣習、他者の評価。これらに覆われて、自分が何者であるかが見えなくなっている。「自分自身になる」とは、それらの覆いを剥がしていく作業だ。
AI時代に、この作業の意味が変わった。
ニーチェは「神の死」を宣告した。伝統的な価値体系が崩壊し、人間が自ら価値を創造しなければならない時代が来る、と。
AIは「知識の神の死」をもたらしている。
医学の知識は、かつて希少だった。医師が6年間の教育と何年もの研修で蓄えた知識は、それだけで価値があった。患者が医師に頼るのは、知識の非対称性があったからだ。
AIがその非対称性を溶かしつつある。医学情報はAIが即座に提供する。治療ガイドラインもAIが解説する。鑑別診断もAIが列挙する。知識そのものの希少性が消えた。
では、知識の希少性が消えた後に、何が残るか。
Naval Ravikantの答えは明確だ。
Specific knowledge is baked into your personality and your identity. It's found by pursuing your genuine curiosity.
(Naval Ravikant "How to Get Rich" 2019年)
特殊知識は人格とアイデンティティに焼き込まれている。本物の好奇心を追求することで見つかる。
What did you do as a kid almost effortlessly, that you loved doing?
(Naval Ravikant、同上)
子供の頃、ほとんど努力なしに、好きでやっていたことは何か。
この問いは「自分自身になれ」のAI時代版だ。全員がAIという同じ増幅器を持つ。増幅されるものの差は、入力の固有性から生まれる。そして固有性は、その人の人格、経験、好奇心の軌跡から生まれる。
セス・ゴーディンは端的にこう言った。
In a world of connections, what matters is what you choose to connect, and how.
(セス・ゴーディン)
マニュアル化できる仕事は、いずれすべて機械に渡る。残るのは、マニュアルにない判断、マニュアルにない組み合わせ、マニュアルにない視点だ。
ケン・ロビンソンはTED Talkで「学校は創造性を殺しているか」と問うた。彼の主張は、教育システムが間違いを恐れる人間を量産しているというものだった。
If you're not prepared to be wrong, you'll never come up with anything original.
(ケン・ロビンソン、TED Talk 2006年)
間違いを恐れる人間は、独自のものを生み出せない。
AI時代にこれは二重の意味を持つ。まず、AIの出力を「正解」として受け入れる態度は、創造性を殺す。AIの出力はもっともらしいが、もっともらしさと独自性は対極にある。独自のものを生み出すには、AIの出力から逸脱する勇気が必要だ。
次に、AIが正解を出してくれる時代に、わざわざ間違えることの価値が上がる。間違いの中にこそ、固有の視点が隠れている。私が外来で経験した「あの説明は失敗だった」という記憶が、次の説明を改善する。その改善の方向は、私という固有の人間の判断から来る。AIの最適解とは違う方向かもしれない。しかし、その「違い」こそが固有性だ。
自分自身になるとは、AIと同じになることの反対だ。AIは平均を出力する。大量のデータの統計的なパターンを返す。それは有用だが、固有ではない。
固有であるためには、自分の経験を深く掘り、自分の好奇心に正直に従い、自分の価値観を言語化する必要がある。それは村上春樹の井戸掘りであり、ポランニーの暗黙知であり、アーレントの活動だ。
AIが知識を民主化した今、差を生むのは知識ではなく視点だ。同じ事実を見ても、異なる解釈ができる。異なる文脈に位置づけられる。異なる物語を紡げる。その異なり方が、あなた自身だ。
自分自身になれ。2500年前のピンダロスの言葉が、AI時代にこれほど切実に響くとは。