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井戸を掘る

村上春樹の井戸掘りの比喩とリック・ルービンの創造論。AIは地上の仕事をこなすが、地下二階まで降りる行為は人間にしかできない。

井戸を掘る

村上春樹の小説には、繰り返し井戸が出てくる。

『ねじまき鳥クロニクル』の主人公は、空の井戸の底に降りて、暗闇の中でじっと座っている。何かを考えるためではない。考えることをやめるために降りる。日常の表層から離れて、もっと深い場所に触れるために。

村上春樹は小説の構造についても、似たような言い方をしている。人間の存在は二階建ての家のようなもので、普段は一階で暮らしている。たまに地下室に降りる。しかし創造のためには、地下室のさらに下にある「もう一つの地下室」まで降りなければならない、と。

この比喩はAIの限界を考えるうえで、驚くほど正確だ。

AIは一階の仕事を瞬時にこなす。情報の整理、構造化、要約、翻訳、分類。地上の作業だ。速くて、正確で、疲れない。一階の仕事に関しては、もう人間は勝てない。

地下室の仕事、つまり分析や洞察の一部も、AIは担い始めている。データのパターン認識、複数の情報源からの統合、論理的な推論。優秀なアシスタントのように、地下室まで一緒に降りてくれる。

しかし「もう一つの地下室」には、AIは降りてこない。

なぜか。地下二階まで降りるには、身体的な持続と覚悟がいるからだ。暗闇の中で、何も見えない状態で、何も掴めない時間を耐えること。答えが出ない不確実性の中に、身体ごと留まること。それは情報処理の問題ではない。存在の問題だ。

リック・ルービンは『The Creative Act』(2023年)でこう書いた。

Creativity is a fundamental aspect of being human. It's our birthright.

(リック・ルービン『The Creative Act: A Way of Being』2023年)

創造性は人間であることの根本的な一面であり、生得の権利だ、と。ルービンの言う創造性は、何か新しいものを「作る」能力ではない。自分の内側の深い場所にあるものに「気づく」能力だ。

ルービンはプロデューサーとして、ジョニー・キャッシュからアデルまで、あらゆるジャンルのアーティストと仕事をしてきた。その経験から導き出した結論は、創造的な人とそうでない人の違いは才能ではなく、注意の向け方だということだった。

深く注意を向けること。表層のノイズを遮断して、もっと奥にあるシグナルを拾うこと。それが井戸を掘る行為だ。

オースティン・クレオンはさらに端的に言った。

Creativity is subtraction.

(オースティン・クレオン『Steal Like an Artist』2012年)

創造は引き算だ、と。

この視点は増幅器の時代に特に重要になる。AIは大量の出力を生む。文章でも、画像でも、アイデアでも、求めれば無限に近い量が出てくる。足し算の能力は圧倒的だ。

しかし、何を残して何を捨てるかを決めるのは人間の仕事だ。大量の出力から本質を抽出する行為、それが引き算であり、創造だ。

私が記事を書くとき、AIは構成案を5パターン出してくれる。参考文献を集めてくれる。草稿まで書いてくれる。一階の仕事はすべてAIがやる。

でも、5つの構成案のうちどれを選ぶか。いや、5つとも捨てて6つ目を自分で考えるか。その判断は地下二階から来る。外来で保護者の顔を見てきた経験、自分の子供が熱を出して不安だった夜の記憶、言語化できない何かが「これじゃない」と告げる。

増幅器は一階と地下一階の仕事を加速する。しかし地下二階への階段を降りる代わりにはならない。井戸を掘るのは、今も昔も、自分の身体だ。