病院には、悪くなってから来る人が多い。当たり前のように聞こえるかもしれません。でも医師として働いていると、この「当たり前」に、じわじわと違和感が溜まっていきます。
6分の外来診療では、伝えきれない
外来にいると、毎日のように見る光景があります。
腰が痛い。肩が上がらない。眠れない。疲れが取れない。血圧が高い。血糖値が上がった。。そうした訴えに対して、検査をして、薬を出して、「また来てください」と言う。
日本の外来診療の平均時間は、OECD諸国の中でも短い水準にあります。一人あたりの診察時間は平均6分程度とされ、アメリカの約20分、スウェーデンの約22分と比べると大きな差があります[1]。この限られた時間で、症状の確認、検査の説明、処方、生活指導まで行うのは現実的に困難です。結果として、多くの医師が「とりあえず薬を出す」対応に追われることになります。
これを繰り返しているうちに、ふと思うようになりました。
「自分は、この人の症状をよくしている。でも、この人をよくしているのだろうか?」
症状をよくすることと、その人をよくすることは違う
症状をよくすることと、その人をよくすることは、同じではありません。
腰痛に痛み止めを出す。血圧に降圧剤を出す。不眠に睡眠薬を出す。症状は一時的に改善します。でも、その人の生活は変わらない。同じ姿勢で同じ時間座り続け、同じ食事をして、同じ時間に寝る。そしてまた、同じ症状で来る。
この繰り返しは、データにも表れています。日本の高血圧患者は約4,300万人と推定されていますが、そのうち適切にコントロールされているのは約3割にとどまります[2]。降圧剤を処方しても、食事・運動・ストレス管理といった根本的な生活習慣が変わらなければ、薬を飲み続けるだけの状態が続きます。糖尿病も同様です。日本の糖尿病予備群を含めた該当者は約2,000万人。その多くが、生活習慣の改善だけで予防・改善できた可能性があるのです[3]。
病院は「下流」で待ち構えている
病院の仕組みは、基本的に「受け身」です。
悪くなった人が来て、悪くなった部分を治す。それが医療の役割だと言えばそうなのですが、「それ以前にできることがあるのではないか」という思いが、ずっと消えませんでした。
この問題意識は、私だけのものではありません。イギリスの家庭医ロンガン・チャタジーは、著書The 4 Pillar Planの中で、「現代医療は病気の"下流"で待ち構えている。しかし本当に必要なのは、"上流"で介入することだ」と述べています[4]。彼はイギリスのNHS(国民保健サービス)の現場で、薬の代わりに運動、料理教室、社会的活動を「処方」する「ソーシャル・プリスクライビング(社会的処方)」を推進してきました。
イギリスでは2019年から、NHSがソーシャル・プリスクライビングを公式に制度化しています[5]。患者をジムやヨガクラス、園芸活動、料理教室などにつなげるリンクワーカーが全国に配置され、薬ではなく「生活」の変化で健康を改善する試みが進んでいます。
入院が新たな問題を生む。廃用症候群の負のスパイラル
入院病棟で特に強く感じました。動けなくなって入院する。入院中はベッドの上で過ごす。するとさらに筋力が落ちる。退院しても以前より動けない。動けないから生活が乱れる。乱れるからまた体調を崩す。そしてまた入院する。
この負のスパイラルを、何度も目にしてきました。
医学の世界では、この入院中の筋力低下を「廃用症候群(disuse syndrome)」と呼びます。高齢者が1週間ベッド上で安静にすると、筋力は約10〜15%低下するというデータがあります[6]。特に下肢の筋力低下は深刻で、入院前に自立して歩けていた高齢者の約30%が、退院時には介助が必要になるという報告もあります[7]。
皮肉なことに、「治すために入院した」はずなのに、入院そのものが新たな問題を生んでいるのです。
ライフスタイル医学という発想の転換
臓器は治せます。手術もできます。でも、「動ける体」は、本人が守るしかない。医師にできるのは、壊れたものを直すことであって、壊れない体を作ることではないのです。
アメリカでは、この認識の転換が少しずつ進んでいます。クリーブランドクリニックやメイヨークリニックといった名門病院が「ライフスタイル医学(Lifestyle Medicine)」の部門を設立し、運動・栄養・睡眠・ストレス管理・社会的つながり・有害物質の回避という6つの柱を体系的に患者に提供し始めています[8]。アメリカ生活習慣医学会(ACLM)の会員数はこの10年で急増し、「薬の前にライフスタイルを」という考え方が医学教育にも浸透しつつあります。
一方、日本ではライフスタイル医学の概念はまだ広く浸透しているとは言えません。診療報酬制度が「治療行為」に対して報酬を支払う仕組みである以上、予防的な生活指導に十分な時間と報酬が割かれにくい構造があります。
壊れない体を作る。「それ以前」の話を
だからこそ、「それ以前」の話をしたいと思いました。
壊れてから治すのではなく、壊れない体を作る。病院に来る前にできることがある。その中心にあるのが「動くこと」だと、自分の体験を通じて確信するようになりました。
ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に2015年に掲載された論文では、運動は少なくとも26種類の慢性疾患の予防または治療に効果があると報告されています[9]。2型糖尿病、心血管疾患、うつ病、認知症、がん(乳がん・大腸がん)、骨粗鬆症、慢性腰痛。この「万能薬」に匹敵する薬物は存在しません。
もちろん、医療が必要な場面はたくさんあります。運動で全部解決できるとは思っていません。でも、医療の「手前」にある広大な領域。そこにもっと光を当てたいのです。
私がこの連載を病院の「外」で書いている理由は、ここにあります。診察室の6分では伝えきれないことがある。病院のシステムの中では語れないことがある。だからこそ、白衣を脱いだ場所から、一人の人間として語りたいと思いました。
明日は、この構造的な問題をもう少し掘り下げます。
この章のポイント
- 日本の外来は平均6分。症状を治しても、その人の生活は変わらない構造がある
- 高血圧4,300万人、糖尿病該当者2,000万人。多くが生活習慣の改善で予防・改善できた可能性がある
- 入院による廃用症候群。「治すために入院した」はずが、入院そのものが新たな問題を生む
- 運動は26種類の慢性疾患の予防または治療に効果がある。これに匹敵する薬は存在しない
参考文献 [1] OECD. Health at a Glance: Average length of consultations. 2023. [2] 日本高血圧学会. 高血圧治療ガイドライン2019. [3] 厚生労働省. 国民健康・栄養調査の結果. 2022. [4] Chatterjee R. The 4 Pillar Plan: How to Relax, Eat, Move and Sleep Your Way to a Longer, Healthier Life. Penguin Life. 2017. [5] NHS England. Social prescribing. 2019. [6] Kortebein P, et al. Effect of 10 days of bed rest on skeletal muscle in healthy older adults. JAMA. 2007;297(16):1772-1774. [7] Covinsky KE, et al. Loss of independence in activities of daily living in older adults hospitalized with medical illnesses. Journal of the American Geriatrics Society. 2003;51(4):451-458. [8] American College of Lifestyle Medicine. Lifestyle Medicine Competencies. 2022. [9] Pedersen BK, Saltin B. Exercise as medicine - evidence for prescribing exercise as therapy in 26 different chronic diseases. Scandinavian Journal of Medicine & Science in Sports. 2015;25(S3):1-72.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第4回です。 前回 → 第3回「体の解像度は、意外と低い」