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ミトコンドリアの処方箋

ミトコンドリア。高校の生物で習った「細胞のエネルギー工場」です。多くの人にとっては教科書の中の存在かもしれませんが、このミトコンドリアこそが、あなたの「疲れやすさ」「体力の低下」「老化」を理解する鍵を握っています。そして近年の研究は、ミトコンドリアが老化の「結果」ではなく「原因」の一つであることを明らかにしつつあります。

体重と同じ重さのエネルギーを毎日作る発電所

ミトコンドリアは、ATPというエネルギー通貨を生産する小さな発電所です。一つの細胞に数百から数千個存在し、体全体のエネルギー供給を支えています。

数字で見ると、そのスケールに驚きます。一人の人間の体には約37兆個の細胞があり、その多くがミトコンドリアを持っています。特にエネルギー需要の高い臓器。心臓、脳、骨格筋、肝臓。では、1つの細胞に数千個ものミトコンドリアが存在します[1]。心筋細胞の体積の約35%をミトコンドリアが占めているという報告もあります。体全体で見ると、ミトコンドリアは体重の約10%に相当する質量を持つと推計されています。

このミトコンドリアが毎日生産するATPの量は、実に体重とほぼ同量。約40〜70kgです[2]。あなたが今この記事を読んでいる間にも、ミトコンドリアは膨大な量のエネルギーを作り続けています。呼吸し、心臓を動かし、脳を働かせるために。

老化の正体。発電所が錆びていく四つのプロセス

加齢とともに、ミトコンドリアの数は減り、機能は低下します[1]。この現象は「ミトコンドリア機能障害(mitochondrial dysfunction)」と呼ばれ、2013年にCellに掲載された画期的なレビュー論文「The Hallmarks of Aging(老化の特徴)」で、老化の9つの主要メカニズムの一つに位置づけられました[3]。

ミトコンドリアが老化するとき、何が起きるのか。順を追って見ていきます。

第一に、エネルギー産生が低下します。 ミトコンドリアの電子伝達系(エネルギーを作る生化学的なプロセス)の効率が落ち、同じ量の食物からでも作れるATPが減ります。これが「疲れやすさ」の分子的な正体です。

第二に、活性酸素種(ROS)が増えます。 効率の悪くなったミトコンドリアは、いわば「排気ガスの多い古い工場」になります。ROSは細胞のDNA、タンパク質、脂質を損傷し、さらなるミトコンドリア機能の低下を引き起こす。悪循環です[4]。

第三に、品質管理システムが低下します。 正常な細胞は「マイトファジー」という仕組みで、機能不全に陥ったミトコンドリアを選択的に分解・除去しています。しかし加齢とともにマイトファジーの効率が落ち、「壊れた発電所」が細胞内に蓄積していきます[5]。

第四に、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の変異が蓄積します。 ミトコンドリアは独自のDNAを持っていますが、核DNAと比べて修復機構が乏しいため、変異が蓄積しやすい。変異したmtDNAは機能不全のミトコンドリアを生み出し、細胞全体の機能を低下させます[1]。

これらが複合的に作用した結果が、「老化」として私たちが体感するものです。筋力の低下、持久力の減少、認知機能の衰え、慢性疲労。これらの多くは、ミトコンドリアの劣化と直接的に関連しています。

運動は「発電所の新設工事」を起動する

では、この下り坂に逆らうことはできるのでしょうか。答えは「はい」です。そして、最も強力な方法が運動です。

運動は、ミトコンドリアを増やします。

特に有酸素運動は、ミトコンドリアの新生(バイオジェネシス)を強力に促進します[6]。そのメカニズムの中心にあるのが、PGC-1α(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ共役因子1α)という転写共役因子です。運動によってPGC-1αが活性化されると、ミトコンドリアの新生に必要な数百の遺伝子のスイッチが一斉にオンになります。

PGC-1αは「ミトコンドリアバイオジェネシスのマスターレギュレーター」と呼ばれ、1998年にブルース・シュピーゲルマン博士(第59回で登場したイリシンの発見者と同一人物です)のグループによって発見されました[7]。運動、寒冷刺激、絶食などによって活性化され、新しいミトコンドリアの生産を指揮します。

新しいミトコンドリアが作られ、古くなったミトコンドリアはマイトファジーによって分解される。この「入れ替え」。ミトコンドリアのターンオーバー。が、細胞を若く保ちます。

HIITとレジスタンスの合わせ技。メイヨー・クリニックが示した69%

高強度インターバルトレーニング(HIIT)は、ミトコンドリアのバイオジェネシスに特に効果的であることが示されています。

メイヨー・クリニックのロビンソンらの研究は、この分野の金字塔的な論文です[8]。彼らは18〜30歳の若年群と65〜80歳の高齢群をそれぞれ3つのグループに分け、12週間にわたって異なるトレーニング(HIIT、レジスタンストレーニング、複合トレーニング)を実施しました。

結果は驚くべきものでした。

HIITを行った高齢群では、ミトコンドリアの呼吸能力が69%改善した。

筋肉の遺伝子発現パターンを分析すると、ミトコンドリア機能に関連する遺伝子の発現が劇的に増加していたのです。特筆すべきは、高齢者のほうが若年者よりも大きな改善を示した点です。「老化した体ほど、運動による恩恵が大きい」ことを示唆する結果でした。

もう一つ注目すべきは、レジスタンストレーニング(筋力トレーニング)もミトコンドリアに効果があるという点です。かつてミトコンドリアへの効果は有酸素運動の専売特許と考えられていましたが、近年の研究では、高重量のレジスタンストレーニングもPGC-1αを活性化し、ミトコンドリアの質と量を改善することが示されています[9]。

クロスフィットの「有酸素運動とレジスタンストレーニングの融合」というアプローチは、ミトコンドリアの観点から見ても理にかなっています。WOD(Workout of the Day)で行われる「高重量デッドリフトの後にランニング」「スラスターとプルアップのサーキット」といったプログラムは、ミトコンドリアバイオジェネシスを最大化する刺激になっている可能性があります。

NAD+。最も効果的なサプリメントはジムにある

ミトコンドリアの健康を支えるもう一つの重要な要素は、NAD+(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)です。

NAD+はミトコンドリアのエネルギー産生に不可欠な補酵素であり、加齢とともに体内のNAD+レベルは低下します[10]。この低下がミトコンドリア機能障害の一因となり、老化を加速させると考えられています。

近年、NAD+前駆体であるNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)やNR(ニコチンアミドリボシド)のサプリメントが「アンチエイジングサプリ」として注目を集めています。しかし、興味深いことに、運動そのものがNAD+の産生を促進することが報告されています[11]。高価なサプリメントを摂取しなくても、運動がNAD+のレベルを維持・向上させる可能性があるのです。

これは、サプリメント産業にとっては不都合な事実かもしれません。最も効果的な「ミトコンドリアサプリメント」は、薬局ではなくジムにあるのですから。

運動の処方箋。リノベーションのメニュー

簡単に言えば、運動は「発電所のリノベーション」です。

古い発電所を解体し(マイトファジー)、新しい発電所を建てる(バイオジェネシス)。品質管理を徹底し(ミトコンドリアの融合と分裂のバランス)、燃料効率を上げる(NAD+の維持)。これを定期的に行うことで、体全体のエネルギー供給が維持される。

運動をやめると、リノベーションも止まります。古い発電所が残り、効率が落ち、排気ガス(活性酸素)が増え、体が「バッテリー切れ」を起こしやすくなる。

具体的な処方箋を示すなら:

種目頻度狙い
中〜高強度有酸素運動(30分以上)週2〜3回ミトコンドリアバイオジェネシスの基本
HIIT週1〜2回ミトコンドリア機能の劇的な改善
レジスタンストレーニング週2回筋肉量の維持とミトコンドリアの質の向上
日常的な身体活動(歩行・階段)毎日ベースラインのミトコンドリア活動の維持

「最近疲れやすい」のは年齢のせいではない

「最近疲れやすくなった」と感じている方。

それは年齢のせいではなく、ミトコンドリアの問題かもしれません。

あなたの体の中の数十兆個のミトコンドリアが、リノベーションを待っています。新しい発電所を作る能力は、何歳になっても失われません。メイヨー・クリニックの研究が示した通り、80歳近い高齢者でもミトコンドリア機能は69%改善できるのです。

そしてその処方箋は、運動です。

この章のポイント

  • ミトコンドリアは毎日体重とほぼ同量のATPを生産する「発電所」。老化の原因の一つであり、結果ではない
  • エネルギー産生低下、活性酸素増加、マイトファジー低下、mtDNA変異蓄積。この4つの悪循環が「疲れやすさ」の正体
  • PGC-1αをスイッチオンにする運動は、発電所の解体と新設を起動する唯一の強力な介入
  • メイヨー・クリニックのHIIT研究は、高齢者で69%の呼吸能力改善を示した。始めるのに遅い年齢はない

参考文献 [1] Sun N, et al. The mitochondrial basis of aging. Mol Cell. 2016;61(5):654-666. [2] Rich PR. The molecular machinery of Keilin's respiratory chain. Biochem Soc Trans. 2003;31(6):1095-1105. [3] Lopez-Otin C, et al. The hallmarks of aging. Cell. 2013;153(6):1194-1217. [4] Harman D. The biologic clock: the mitochondria? J Am Geriatr Soc. 1972;20(4):145-147. [5] Pickles S, et al. Mitophagy and quality control mechanisms in mitochondrial maintenance. Curr Biol. 2018;28(4):R170-R185. [6] Hood DA. Mechanisms of exercise-induced mitochondrial biogenesis in skeletal muscle. Appl Physiol Nutr Metab. 2009;34(3):465-472. [7] Puigserver P, et al. A cold-inducible coactivator of nuclear receptors linked to adaptive thermogenesis. Cell. 1998;92(6):829-839. [8] Robinson MM, et al. Enhanced protein translation underlies improved metabolic and physical adaptations to different exercise training modes in young and old humans. Cell Metab. 2017;25(3):581-592. [9] Porter C, et al. Resistance exercise training alters mitochondrial function in human skeletal muscle. Med Sci Sports Exerc. 2015;47(9):1922-1931. [10] Yoshino J, et al. NAD+ intermediates: the biology and therapeutic potential of NMN and NR. Cell Metab. 2018;27(3):513-528. [11] de Guia RM, et al. Aerobic and resistance exercise training reverses age-dependent decline in NAD+ salvage capacity in human skeletal muscle. Physiol Rep. 2019;7(12):e14139.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第63回です。 前回 → 第62回「データで見る自分の老化」