「先生は、なぜ運動の話ばかりするんですか?」同僚の医師に、こう聞かれたことがあります。悪意のある質問ではなく、純粋な疑問として。医師なのに、なぜ学会ではなくnoteで書くのか。なぜ論文ではなく連載なのか。なぜ患者に薬を出す側の人間が、「動け」と言い続けるのか。この連載を80回まで書いてきました。第5部の最後に、私自身のスタンスを明確にしておきたいと思います。
交差点に立つ。医師×クロスフィッター×アート
私は医師です。そして、クロスフィッターです。アートを大学院で学んだこともあります。
この交差点に立っている人間は、あまりいません。
医学の世界には、運動に関する膨大なエビデンスがあります。PubMedで「exercise」を検索すると、数十万件の論文がヒットします。運動が健康に良いことは、医学的にはもう「常識」です。
でも、その「常識」が現場に届いていない。
日本の成人の運動習慣者の割合は、男性で約33%、女性で約25%です[1]。フィットネスクラブの参加率は約3〜4%。第8回で書いた通り、経営者の運動実施率70%と比較すると、一般人の実施率は著しく低い。
エビデンスはある。でも、行動は変わっていない。
この「知識と行動のギャップ」。医学ではKnowledge-Action Gapと呼ばれます。を埋めることが、この連載の目的の一つです。
診察室の6分と、noteの1,500字
医師が運動を語ることには、独特の説得力があります。
2019年にBritish Journal of Sports Medicineに掲載された研究では、医師が患者に運動のアドバイスをした場合、患者が実際に運動行動を変える確率が有意に上がることが示されています[2]。「医師に言われた」という事実が、行動変容のきっかけになるのです。
しかし、前回書いた通り、日本の医師が外来で運動の具体的なアドバイスをすることは稀です。時間がない、教育されていない、インセンティブがない。これらの構造的な問題があります。
だから私は、診察室ではなく、noteという場を選びました。
診察室では6分しかない。でもnoteなら、1,500字かけて、データと体験を交えて、「なぜ動いたほうがいいのか」を伝えることができる。一人の患者さんにしか届かない言葉が、数千人、数万人に届く可能性がある。
医師が「動け」と言うのは、処方箋を書くのと同じくらい真剣なことなのです。
二つの柱。エビデンスと一次体験
この連載のスタンスには、2つの柱があります。
第一の柱:エビデンスに基づくこと
この連載では、できる限りエビデンスに基づいて書いてきました。メタアナリシス、ランダム化比較試験、大規模コホート研究。引用した論文はすべて査読済みのジャーナルから。数字を出すときは出典を明記し、因果関係と相関関係を区別し、「効果が示されている」と「証明されている」の言葉の使い分けに気をつけてきました。
医師としての訓練が、ここに生きています。「なんとなく良さそう」ではなく、「どのレベルのエビデンスがあるのか」を常に意識する。ランダム化比較試験のエビデンスなのか、観察研究のデータなのか、専門家の意見なのか。エビデンスの質を示すことが、信頼性の基盤になります。
アカデミックな背景を持つ人間がフィットネスを語ること。これは、市場にあるフィットネスコンテンツの多くとは異なるポジションです。芸能人やインフルエンサーが「これで痩せた!」と語るのとは、出発点が違います。
第二の柱:一次体験を語ること
しかし、エビデンスだけでは人は動きません。
「運動は抑うつ症状を1.5倍効果的に改善する」と言われても、ピンとこない人がほとんどでしょう。でも、「朝のクロスフィットの後、午前中の仕事の集中力がまるで違う」「3ヶ月ジムに行けなかった時期に、明らかにメンタルが不安定になった」「60代の仲間が、始めた頃より確実に動ける体になっている」。こうした体験は、データにはない説得力を持ちます。
noteというプラットフォームのアルゴリズムも、一次体験を重視しています。深津貴之さんが公開しているnoteの推奨基準では、「人間による生の一次情報・体験の記録」が最も高く評価されます。論文の再出力だけでは、読者の心は動かない。
だから、毎回、自分の体験を入れてきました。西麻布のジムで見たこと、病院で感じたこと、9年間で変わったこと、変わらなかったこと。
医師としてのエビデンス。アスリートとしての体験。 この両方を同時に出せることが、この連載の独自性だと思っています。
矛盾と向き合う。透明であること
正直に言えば、この二つの柱は、時に矛盾します。
医師としては「エビデンスが不十分なものは推奨できない」と思います。でもクロスフィッターとしては「体験的にこれは効く」と感じている。
例えば、クロスフィットのコミュニティ効果。「仲間と運動するとメンタルが安定する」という実感は確かにあります。しかし、クロスフィットに特化したRCT(ランダム化比較試験)は限られています。コミュニティ型運動のメンタルヘルス効果に関するエビデンスは増えていますが[3]、まだ「確立された」と言い切れるレベルではない分野もあります。
この矛盾に対する私のスタンスは、透明であることです。
エビデンスが強固な領域(運動のうつ改善効果、心血管リスク低減、認知機能維持など)では、自信を持って推奨する。エビデンスが発展途上の領域では、「自分の体験ではこう感じている。科学的な裏付けは今後さらに蓄積されるだろう」と正直に書く。
「わからないことは、わからないと言う」。これが医師の誠実さであり、この連載の誠実さでもあります。
次は終章。「これからの話」
この連載は、第5部をもって「実践ガイド」を終えます。
次回からの終章「これからの話」では、ここまでの旅をまとめます。
80回かけて書いてきたこと。動くとは何か、動くと何が変わるか、なぜ日本では動かないのか、AI時代に動く意味、どう始めてどう続けるか、そして運動の限界。これらすべてを踏まえた上で、「なぜ動く人は、幸せそうなのか」への私なりの答えを書きます。
もう少しだけ、お付き合いください。
この章のポイント
- エビデンスはあるのに現場に届かない「Knowledge-Action Gap」を埋めるのが、この連載の目的の一つ
- 診察室の6分では伝えきれないことが、noteの1,500字なら伝えられる。一人から数万人へ
- 柱は2つ。医師としてのエビデンスと、クロスフィッターとしての一次体験。どちらも欠けない
- 矛盾に対する誠実さは「透明であること」。わからないことはわからないと言う
参考文献 [1] 厚生労働省. 令和4年国民健康・栄養調査結果の概要. 2023. [2] Orrow G, et al. Effectiveness of physical activity promotion based in primary care: systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials. BMJ. 2012;344:e1389. [3] Pels F, Kleinert J. Loneliness and physical activity: A systematic review. Int Rev Sport Exerc Psychol. 2016;9(1):231-260.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第80回です。 前回 → 第79回「医療と運動の共存」 次回から → 終章「これからの話」