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9年間続けてわかったこと

クロスフィットを始めて9年になります。「すごい意志力ですね」と言われることがあります。でも、意志の力で続けてきたわけではありません。 9年前の自分が今の自分を見たら、驚くと思います。「まだやってるの?」と。この連載の最後の実践ガイドとして、9年間で学んだことを、正直に書きます。格好いいことだけでなく、失敗や後悔も含めて。

第1の教訓:続けるコツは「やめないこと」だけ

当たり前のことを言っています。でもこれが真実です。

9年間、モチベーションの波がなかったわけではありません。「行きたくない時期」は何度もありました。仕事が忙しくて疲弊していた時期。ケガで思うように動けなかった時期。「もう十分じゃないか、そろそろ卒業してもいいんじゃないか」と思った時期。

でも、やめなかった。

やめなかった理由は、実は高尚なものではありません。「明日の朝、ジムで仲間に会うのが楽しみだった」。 ほぼそれだけです。

長期的な運動継続に関する研究は、私のこの体験を裏付けています。2019年のBritish Journal of Sports Medicineのレビューでは、運動を10年以上継続している人に共通する要因として、「楽しさ(enjoyment)」「社会的つながり(social connection)」「アイデンティティの統合(identity integration)」の三つが挙げられています[1]。意志力は、トップ3に入っていないのです。

運動の継続はマラソンに似ている。歩く時期があっても、立ち止まる時期があっても、コースから降りなければゴールには着く。

第2の教訓:毎日の変化はほぼゼロ、でも9年の変化は別人

1日単位では何も変わりません。1週間でも、ほとんどわからない。1ヶ月経っても、鏡を見て「変わったな」とは思いません。

でも1年経つと、明らかに違う自分がいます。

9年前の自分と今の自分を比較すると、変化は明白です。

指標9年前現在
体脂肪率25%14%
デッドリフトのMax重量60kg170kg
5km走のタイム32分22分
安静時心拍数75bpm55bpm

心の変化:

  • ストレスへの耐性が格段に上がった
  • 朝起きるのが辛くなくなった
  • 自分の体に対する信頼感が生まれた
  • 「自分にはできる」という感覚(自己効力感)が強まった

これは「複利の効果」と同じです。1日1%の改善は、目に見えません。でも、1.01の365乗は37.8。1年間で37倍。 9年間で。計算する気にもなりませんが。とてつもない差になります。

ジェームズ・クリアが『Atomic Habits』で書いた通り、習慣の力は複利に似ています[2]。短期的には見えない。でも長期的には、人生を変えるほどの差を生みます。

この「見えない時期」を乗り越えられるかどうかが、継続の分かれ道です。最初の3ヶ月は、ほぼ何も変わらないように感じます。でも体の中では、ミトコンドリアの密度が増し、毛細血管が新生し、筋繊維のタイプが変化し、神経-筋接合部の効率が向上しています[3]。見えない変化が、やがて見える変化になる。そのタイムラグを信じられるかどうか。

第3の教訓:ケガが一番の敵だった

9年間で何度かケガをしました。腰椎のヘルニア、右肩の腱板部分断裂、左膝の半月板損傷。そのたびに2〜3ヶ月休みました。復帰するたびに思いました。「無理をしなければよかった」。

前回の記事でケガの予防について書きましたが、その知識の多くは「自分自身の失敗」から得たものです。

特に後悔しているのは、2つ目のケガ。右肩の腱板部分断裂です。オーバーヘッドスクワットの重量を上げていた時期で、肩に違和感があったにもかかわらず「まだいける」と判断してしまった。医師として「痛みは体からの警告だ」と知っていたのに、アスリートとしてのエゴがそれを上書きしました。

復帰には3ヶ月かかりました。その3ヶ月で失った筋力を取り戻すのに、さらに3ヶ月。合計6ヶ月のロス。もし最初の違和感の時点で1週間休んでいたら、この6ヶ月は失われなかったでしょう。

長期的な運動の恩恵は、「長期的に続ける」ことで初めて得られます。つまり、ケガをしないことが最も重要な戦略です。1日の自己ベスト更新よりも、10年の継続のほうがはるかに価値がある。これは、9年間で最も高い授業料を払って学んだ教訓です。

第4の教訓:仲間が最大の財産

一人だったら、絶対に9年は続いていません。

毎朝6時にジムで会う仲間。名前を呼び合い、調子を聞き合い、キツいWODを一緒に乗り越える。誕生日にはジムで祝い、誰かが久しぶりに来れば「おかえり!」と迎える。

この9年間で、ジムの仲間からもらったものは計り知れません。

仕事で大きなストレスを抱えていた時期、朝のトレーニング後に仲間と話す10分間が、唯一の息抜きでした。ケガで休んでいた時期、仲間からの「早く戻ってこいよ」というメッセージが、リハビリを続ける動機になりました。

2023年のFrontiers in Psychologyの研究では、運動コミュニティへの帰属意識が、運動の継続率だけでなく、全般的な人生の満足度にも正の影響を与えることが報告されています[4]。運動仲間は「トレーニングパートナー」以上の存在です。共通の苦しみを乗り越えた戦友です。

社会学者のマーク・グラノヴェッターは「弱い紐帯の強さ」という概念を提唱しましたが[5]、ジムの仲間はむしろ「強い紐帯」です。毎日顔を合わせ、互いの成長と苦闘を見守り、人生の一部を共有する。この関係性は、SNS上の「いいね」とは質的にまったく異なります。

第5の教訓:体より心が先に変わった

これは予想外の発見でした。

体の変化は緩やかです。筋肉がつき、体脂肪が減り、体型が変わるまでには数ヶ月から数年かかります。

でも、メンタルの変化は比較的早く来ました。クロスフィットを始めて2ヶ月目には、すでにストレスの感じ方が変わっていました。以前なら一晩中考え込んでいたような問題が、「朝のトレーニングの後で考えよう」と後回しにできるようになった。そして翌朝トレーニングした後には、その問題が大したことではないように感じられることが多かった。

これは主観的な印象ではなく、科学的に説明できる現象です。運動はBDNF(脳由来神経栄養因子)の産生を増加させ、前頭前皮質の機能を向上させます[6]。ストレスに対する神経内分泌反応が最適化され、コルチゾールの過剰分泌が抑制されます。これにより、同じストレッサーに対する心理的反応が穏やかになるのです。

ストレス耐性、判断力、自己効力感。これらが変わると、仕事も人間関係も変わります。運動の最大の恩恵は、6パックの腹筋ではなく、揺るぎにくい精神かもしれません。

第6の教訓:モチベーションは波がある。それでいい

9年間、常にモチベーションが高かったわけではありません。

波のパターンはだいたい決まっています。春に新しい目標を立ててモチベーションが上がり、夏にピークを迎え、秋に少し下がり、冬に底を打つ。年末年始や大型連休で生活リズムが崩れると、そこから復帰するのに2〜3週間かかります。

大きなモチベーション低下は、9年間で3回ありました。いずれもケガの後か、仕事の激務期でした。2〜3週間、ジムに行く頻度が週1〜2回に落ちました。

しかし、振り返ると、この「底」の時期にやめなかったことが決定的に重要でした。底の時期でも週1回だけは行く。第66回で書いた通り、週1回でも効果はあります。そして底を通過すれば、また波は上がってきます。

動機づけの心理学では、モチベーションの「波」は正常な現象であり、むしろ「常に高いモチベーション」を維持しようとすること自体が非現実的な期待だとされています[7]。大事なのは、波の底でも「最低限の行動」を維持する仕組みを持っておくことです。

第7の教訓:運動は「目的」ではなく「手段」だった

最初の頃、運動の目的は「体を変えること」でした。痩せたい、筋肉をつけたい、健康になりたい。

今は違います。運動は「目的」ではなく「手段」になりました。

何の手段かというと、「自分がなりたい自分でいるための手段」です。朝のトレーニングは、1日をクリアな頭で始めるための手段。キツいWODを乗り越えることは、「自分にはまだできる」という確認の手段。仲間と過ごす時間は、人間としてのつながりを維持する手段。

この「目的」から「手段」へのシフトは、運動を長く続ける上で非常に重要だったと思います。「目的」には終わりがあります。5kg痩せたら、次はどうするのか。目標体重に達したらやめるのか。でも「手段」には終わりがありません。「自分らしくいること」に終わりはないからです。

9年前と今。そして、これから

9年前と今。

特別なことは何もしていません。ただ、やめなかっただけです。

意志力で続けたわけではありません。仕組みを作り、環境を整え、仲間に恵まれ、ケガから学び、モチベーションの波を受け入れてきただけです。

そしてここまで書いてきた連載全体を通じて、私が最もお伝えしたかったことは、運動は「修行」でも「苦行」でもないということです。運動は、人間がより人間らしく生きるための、最もシンプルで、最も強力な手段です。

これから運動を始めようとしているあなたへ。

最初の1回がすべてです。週1回でいい(第66回)。行くだけの日があっていい(第67回)。入口は5つある(第68回)。友人を巻き込んでいい(第69回)。習慣は仕組みで作れる(第71回)。

完璧にやる必要はありません。正しく始める必要もありません。ただ、始めてください。そして、やめないでください。

それだけで、人生は変わります。9年間、毎朝それを体験してきた私が、保証します。

この章のポイント

  • 10年以上続ける人の共通要素は「楽しさ・社会的つながり・アイデンティティ統合」の3つ。意志力はトップ3に入らない
  • 1日の変化はほぼゼロでも、1.01の365乗は37.8。見えない時期を信じられるかが継続の分かれ道
  • 体よりメンタルが先に変わる。運動の最大の恩恵は6パックではなく、揺るぎにくい精神
  • 完璧にやる必要も、正しく始める必要もない。ただ始めて、やめないこと。それだけで人生は変わる

参考文献 [1] Kwasnicka D, et al. Theoretical explanations for maintenance of behaviour change: a systematic review of behaviour theories. Health Psychol Rev. 2016;10(3):277-296. [2] Clear J. Atomic Habits. Avery, 2018. [3] Hawley JA, et al. Integrative biology of exercise. Cell. 2014;159(4):738-749. [4] Stevens M, et al. Social connectedness and life satisfaction: the mediating role of sense of belonging in recreational sport. Front Psychol. 2023;14:1127578. [5] Granovetter MS. The strength of weak ties. Am J Sociol. 1973;78(6):1360-1380. [6] Ratey JJ. Spark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain. Little, Brown and Company, 2008. [7] Deci EL, Ryan RM. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Plenum Press, 1985.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第75回です。 前回 → 第74回「数字で自分を知る」