「生物学的年齢」という言葉を聞いたことがありますか。
実年齢が40歳でも、体の状態が30歳相当の人もいれば、50歳相当の人もいる。この「体の実年齢」を測る指標が、近年急速に発展しています。
かつて「老化」は漠然とした概念でした。「年を取ったなあ」という主観的な感覚、鏡に映る白髪やシワ、階段を上がった時の息切れ。老化を「数値」で捉えるという発想自体が、つい最近まで存在しませんでした。
しかし、分子生物学とバイオインフォマティクスの進歩により、老化を「測定可能な生物学的プロセス」として定量化できる時代が到来しています。そして、この技術は運動の価値を、これまでとはまったく異なるレベルで証明しつつあります。
エピジェネティック時計の登場
老化のバイオマーカーとして、現在最も注目されているのがエピジェネティック時計です。
2013年、UCLAのスティーブ・ホルバス博士が画期的な論文を発表しました[1]。DNA上の353か所のメチル化パターンを分析することで、個人の生物学的年齢を推定できるというものです。このアルゴリズムは「ホルバス時計(Horvath Clock)」と呼ばれ、実年齢との誤差わずか3.6歳という驚異的な精度を示しました。
DNAメチル化とは、DNA上のシトシン塩基にメチル基(CH3)が付加される化学修飾のことです。この修飾パターンは、環境因子や生活習慣によって変化し、遺伝子の発現を制御します。重要なのは、DNAの配列そのもの(遺伝情報)は変わらないのに、その「読まれ方」が変わるということです。
ホルバス時計以降、複数の改良版が開発されています。2018年に発表された「GrimAge」は、死亡リスクとの相関がさらに高く、喫煙やBMIなどの健康関連因子を考慮に入れた、より包括的な指標です[2]。2023年には「DunedinPACE」が発表され、これは「老化の速度」。つまり、あなたが今どれくらいのスピードで老化しているか。を測定できます[3]。
血液検査一つで「あなたの体は実年齢より5歳老けています」「あなたの老化速度は平均の1.2倍です」といった情報が得られる。これは、健康管理のパラダイムを根本的に変える可能性を持っています。
テロメアという「染色体の靴紐」
テロメアの長さも、老化のバイオマーカーとして重要です。
テロメアは染色体の末端にある構造で、「靴紐の先端のプラスチックキャップ」に例えられます。細胞分裂のたびにテロメアは短くなり、ある一定の長さ以下になると、細胞は分裂を停止して「老化細胞(senescent cell)」になります[4]。
2009年のノーベル生理学・医学賞は、テロメアとテロメラーゼ(テロメアを修復する酵素)の研究に贈られました。エリザベス・ブラックバーン博士らの研究は、テロメアの短縮が単なる結果ではなく、老化を「駆動する」メカニズムの一つであることを示しました[4]。
テロメアが短い人は、心血管疾患、2型糖尿病、認知症、がんのリスクが高いことが報告されています。そして、テロメアの長さは遺伝だけでなく、生活習慣によって大きく左右されます。
そして、運動はこの両方。エピジェネティック時計とテロメア長。に影響します。
運動が生物学的年齢を巻き戻す
運動と生物学的年齢の関係を示すエビデンスは、年々蓄積されています。
テロメアへの効果: NHANESデータ(米国国民健康栄養調査)を用いたタッカーの研究では、高い身体活動レベルを持つ成人は、座りがちな成人と比較して、テロメアの長さが有意に長いことが示されました[5]。その差は生物学的年齢換算で約9年に相当します。つまり、運動する人は座りがちな人より、細胞レベルで約9歳若いのです。
ブラックバーン博士自身の研究チームも、慢性的なストレス下にある介護者を対象に、運動がテロメアの短縮を防ぐことを報告しています[6]。ストレスはテロメアを短縮させますが、定期的な運動がその負の影響を緩衝(バッファリング)するのです。
エピジェネティック時計への効果: 2020年にランセット子誌に掲載されたレビューでは、定期的な運動がDNAメチル化パターンに影響を与え、エピジェネティック年齢の進行を遅らせることが報告されています[7]。特に注目すべきは、運動がエピジェネティック時計を「巻き戻す」可能性を示唆する研究です。6か月間のレジスタンストレーニングプログラムの後、参加者のエピジェネティック年齢が平均で約3歳「若返った」という報告もあります。
運動の種類による違い: ここが興味深いところですが、有酸素運動、レジスタンストレーニング、高強度インターバルトレーニング(HIIT)のいずれも、生物学的年齢の指標を改善することが示されています。ただし、メイヨー・クリニックの研究では、HIITが高齢者のミトコンドリア機能と遺伝子発現パターンの改善に最も効果的であったと報告されています[8]。
Blueprintが示した教訓
ブライアン・ジョンソンの「Blueprint」プロジェクトは、この「生物学的年齢の測定と最適化」を極限まで追求した事例です。
彼は数百のバイオマーカーを定期的に測定し、エピジェネティック年齢、テロメア長、各臓器の生物学的年齢を公開しています。彼のデータによると、彼の心臓は実年齢より約20歳若く、肺機能は18歳相当だと主張しています。
もちろん、年間200万ドルをかけたジョンソンのアプローチは一般的ではありません。しかし、彼のプロジェクトが示した重要な教訓があります。それは、老化は「不可避の運命」ではなく、「測定可能で、ある程度制御可能なプロセス」だということです。
そして、彼のプログラムの最も基本的な要素。毎日1時間の運動。は、誰にでも実行可能なものです。
細胞レベルで「若い」ということ
日本でも、生物学的年齢測定の民間サービスが増えつつあります。唾液や血液サンプルを郵送するだけで、エピジェネティック年齢が算出されるサービスが複数存在します。価格も数万円程度で、年々手頃になっています。
これは感覚的にも納得がいきます。
クロスフィットのジムでは、50代でも60代でも、信じられないほど動ける人がいます。実年齢を聞いて驚くことが何度もありました。デッドリフトで体重の1.5倍を持ち上げる58歳。5kmランを22分で走る62歳。マッスルアップ(鉄棒の上に体を引き上げる動作)ができる55歳。
今なら、その「若さ」を科学的に説明できます。彼らのテロメアはおそらく同年代の平均より長く、エピジェネティック年齢はおそらく実年齢より若い。毎日の運動が、分子レベルで老化の時計を遅らせている。あるいは部分的に巻き戻しているのです。
「若い」というのは、見た目だけの話ではありません。体の中から、細胞レベルで若い。運動はそれを可能にします。
医師としての但し書き
ここで、医師として一つ大切なことを補足しておきます。
生物学的年齢の測定技術は急速に発展していますが、まだ「完全な指標」とは言えません。エピジェネティック時計のアルゴリズムには複数のバージョンがあり、測定結果にばらつきが出ることもあります。テロメア長の測定方法も標準化の途上です。
しかし、方向性は明確です。データが示しているのは、「運動は老化を遅らせる」という一貫したメッセージです。どのバイオマーカーを使っても、どの研究デザインでも、定期的な運動が生物学的年齢を若く保つことを示すエビデンスは強固です[9]。
老化は数字で測れる時代になりました。そして、その数字を動かす最も強力な処方箋が「運動」であるという事実は、この連載の読者にとって、大きな励みになるのではないでしょうか。
この章のポイント
- ホルバス時計・GrimAge・DunedinPACEなど、生物学的年齢を測る技術が急速に発展している
- 高い身体活動を持つ人は、テロメア長換算で約9歳細胞レベルで若い
- 6か月のレジスタンストレーニングでエピジェネティック年齢が約3歳「若返る」報告もある
- 老化は不可避の運命ではなく、測定可能で制御可能なプロセス。最強の処方箋は運動
参考文献 [1] Horvath S. DNA methylation age of human tissues and cell types. Genome Biol. 2013;14(10):R115. [2] Lu AT, et al. DNA methylation GrimAge strongly predicts lifespan and healthspan. Aging. 2019;11(2):303-327. [3] Belsky DW, et al. DunedinPACE, a DNA methylation biomarker of the pace of aging. eLife. 2022;11:e73420. [4] Blackburn EH, et al. Telomeres and telomerase: the path from maize, Tetrahymena and yeast to human cancer and aging. Nat Med. 2006;12(10):1133-1138. [5] Tucker LA. Physical activity and telomere length in U.S. men and women: an NHANES investigation. Prev Med. 2017;100:145-151. [6] Puterman E, et al. The power of exercise: buffering the effect of chronic stress on telomere length. PLoS One. 2010;5(5):e10837. [7] Denham J. Exercise and epigenetic inheritance of disease risk. Acta Physiol. 2018;222(1):e12881. [8] Robinson MM, et al. Enhanced protein translation underlies improved metabolic and physical adaptations to different exercise training modes in young and old humans. Cell Metab. 2017;25(3):581-592. [9] Rebelo-Marques A, et al. Aging hallmarks: the benefits of physical exercise. Front Endocrinol. 2018;9:258.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第62回です。 前回 → 第61回「GPT-4は運動処方ができるか」