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フィットネス参加率3%の国に何が必要か

ここまで、海外との比較を書いてきました。アメリカの23.7%に対し、日本は4〜5%。この差を埋めるために、何が必要なのか。

「日本人は運動しない国民だ」と諦めるのは早計です。笹川スポーツ財団の調査によれば、運動・スポーツに「関心がある」と答える日本人は約77%に達します[1]。関心はあるのに行動に移せていない。この「関心と行動のギャップ」にこそ、解決のヒントがあります。

行動経済学者のリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが提唱した「ナッジ理論」は、人間の行動を「禁止」や「命令」ではなく、選択環境のデザインによって望ましい方向に「そっと押す」アプローチです[2]。日本のフィットネス参加率を上げるために必要なのは、「もっと頑張れ」という精神論ではなく、行動を促す「仕組み」の設計です。

第一の処方箋:発想の転換

まず、発想の転換が必要です。

「時間がないから運動できない」→「運動するから時間が生まれる」。

第8回で書いた通り、経営者の70%が運動しているのは、暇だからではありません。運動がもたらす集中力、判断力、ストレス耐性が、結果的に時間を生み出しているのです。

この因果の逆転を理解することが、第一歩です。

ハーバード・ビジネスレビューに掲載された研究では、定期的に運動する従業員は、そうでない従業員と比べて生産性が約15%高いことが報告されています[3]。また、ブリストル大学の研究では、運動した日は集中力が72%向上し、時間管理能力が79%向上したというデータがあります[4]。

つまり、「時間を使って運動する」のではなく、「運動によって時間の質が変わる」のです。 1時間のワークアウトが、残りの15時間のパフォーマンスを上げるなら、それは「コスト」ではなく「投資」です。

第二の処方箋:入口のハードルを下げる

次に、入口のハードルを下げること。

日本では「運動=しんどいもの、ちゃんとやるもの」というイメージが根強い。これを変える必要があります。

週1回でいい。30分でいい。ジムに行くだけの日があってもいい。完璧を求めない。「歯磨きレベル」の日常行為に落とし込む。

行動科学者のB.J.フォッグが提唱した「タイニー・ハビッツ」の考え方は、この点で示唆的です[5]。新しい習慣を始める時は、「できないほど小さく」始めるのが鉄則です。

  • 「毎日1時間ジムに行く」→ 挫折する
  • 「ジムウェアを着る」→ 続く

これは馬鹿げて聞こえるかもしれません。でも、フォッグの研究が示しているのは、行動のトリガーとなる「最小の一歩」を習慣化すると、その後の行動は自然についてくるということです。ジムウェアを着た人は、高い確率でジムに行きます。ジムに行った人は、何かしらの運動をします。

日本のフィットネス業界もこの方向に動き始めています。月額2,000〜3,000円台の24時間ジムが急増し、「ちょい筋トレ」「10分だけワークアウト」といったコンセプトのサービスが生まれています。入口を低くすることで、「ちゃんとしないと行けない」という心理的障壁を取り除く試みです。

第三の処方箋:仲間の力

三つ目に、仲間の力。

第16回で書いた通り、運動は社会的に伝染します。一人で始めるより、誰かと一緒のほうが続く確率が圧倒的に高い。

ハーバード大学のニコラス・クリスタキスとカリフォルニア大学のジェームズ・ファウラーの研究は、肥満が社会的ネットワークを通じて「伝染」することを示しました[6]。友人が肥満になると、自分が肥満になるリスクが57%上昇する。しかし、この「伝染」は逆方向にも働きます。友人が運動を始めると、自分も運動を始める確率が有意に高まるのです。

インスタのwellnessサークル。会社のrunning club。近所のヨガクラス。フィットネスの「入口」は、どんどん多様化しています。

特に注目すべきは、日本で急増している「朝ランコミュニティ」です。渋谷、丸の内、代々木公園を拠点にしたランニングクラブが、2022年以降急速に増えています。これらのコミュニティの多くは、SNSで緩くつながり、参加も離脱も自由。部活のような拘束はありません。「今日は行けない」と言っても誰も責めない。この「緩い連帯」が、日本人の気質に合っているのかもしれません。

第四の処方箋:企業の役割

四つ目に、企業の健康経営です。

経済産業省が推進する「健康経営優良法人認定制度」は、従業員の健康に投資する企業を認定する仕組みです[7]。2023年時点で約17,000法人が認定を受けています。

しかし、認定を受けている企業でも、実際に従業員の運動習慣を変えるところまで踏み込んでいるケースはまだ少数です。多くは「健康診断の受診率向上」や「メンタルヘルス研修の実施」に留まっています。

先進的な企業は一歩先を行っています。たとえば、一部のIT企業ではオフィス内にジムを設置し、就業時間中の利用を認めています。金融機関の中には、ジム会費の半額補助を福利厚生に組み込んでいるところもあります。Googleやappleが社内にフィットネス施設を持っているのは有名ですが、日本でもこうした動きが広がれば、「運動=仕事の一部」という認識が浸透する可能性があります。

第五の処方箋:「正の循環」を体験する

最後に、「正の循環」を体験すること。

動く → 眠れる → 食事が変わる → 調子が良くなる → もっと動きたくなる。

この循環を一度体験すると、「なぜ今まで動かなかったんだろう」と思うはずです。

神経科学の研究では、運動後に分泌されるBDNF(脳由来神経栄養因子)が、気分の改善、認知機能の向上、ストレス耐性の強化に寄与することが明らかになっています[8]。さらに、運動は腸内環境を改善し、「腸脳相関」を通じてメンタルヘルスにも好影響を及ぼします[9]。

この「正の循環」は、最初の2〜3週間で実感できることが多いです。完璧なトレーニングプログラムは必要ありません。週2回、30分ずつ動くだけで、睡眠の質の変化を感じる人は少なくありません。

1%の変化が社会を変える

3%から4%へ。4%から5%へ。1%の変化でも、日本の人口に換算すれば約125万人です。125万人が新たに動き始めたら、その家族、友人、同僚にも影響が波及します。

社会学者のマルコム・グラッドウェルは、「ティッピング・ポイント」。小さな変化が大きな変化を引き起こす閾値。について書いています[10]。フィットネス文化にもティッピング・ポイントがあるはずです。韓国は2010年代にそれを超えました。日本は、今まさにその手前にいるのかもしれません。

その1%に、あなたがなるかもしれません。

この章のポイント

  • 日本人の77%は運動に「関心」がある。問題は意志ではなく、関心と行動を繋ぐ「仕組み」の不在
  • 5つの処方箋: 発想の転換/入口のハードル下げ/仲間の力/企業の健康経営/正の循環の体験
  • 「歯磨きレベル」のタイニーハビッツと「緩い連帯」のコミュニティが日本人の気質に合う
  • 1%の変化=125万人。日本は今まさにティッピング・ポイントの手前にいる

参考文献 [1] 笹川スポーツ財団. スポーツライフ・データ 2023. [2] Thaler RH, Sunstein CR. Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness. Yale University Press, 2008. [3] Coulson JC, et al. Exercising at work and self-reported work performance. Int J Workplace Health Manag. 2008;1(3):176-197. [4] Coulson JC, et al. Does exercise influence mood and cognition at work? J Occup Health Psychol. 2008. [5] Fogg BJ. Tiny Habits: The Small Changes That Change Everything. Houghton Mifflin Harcourt, 2019. [6] Christakis NA, Fowler JH. The spread of obesity in a large social network over 32 years. N Engl J Med. 2007;357(4):370-379. [7] 経済産業省. 健康経営優良法人認定制度. 2023. [8] Cotman CW, Berchtold NC. Exercise: a behavioral intervention to enhance brain health and plasticity. Trends Neurosci. 2002;25(6):295-301. [9] Monda V, et al. Exercise modifies the gut microbiota with positive health effects. Oxid Med Cell Longev. 2017;2017:3831972. [10] Gladwell M. The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference. Little, Brown, 2000.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第45回です。 前回 → 第44回「韓国のフィットネス革命」