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ホテルの朝のジムに日本人はいない

海外出張でホテルのジムに行くと、いつも同じことに気づきます。日本人がいない。

朝6時のジムの風景

学会でアメリカに行った時のことです。朝6時にジムに向かうと、すでに5〜6人がトレーニングしていました。白人、黒人、アジア系、ヒスパニック。体型もバラバラ。マッチョな人もいれば、明らかに初心者の人もいる。

誰も他人を気にしていません。ヘッドフォンをつけて、自分のメニューをこなしている。

翌朝も行きました。顔ぶれは少し変わりましたが、やっぱり日本人は自分だけでした。

これは一度や二度の話ではありません。ヨーロッパの学会でも、アジアのカンファレンスでも、同じです。シンガポールのホテルでは中国系やインド系のビジネスパーソンが汗を流していました。ドバイのホテルでは中東の人々がランニングマシンに並んでいました。日本人の出張者が多いホテルでも、ジムで見かける日本人は稀です。

この光景が示す「多様性」

この光景が示しているのは、「多様性」です。

海外のジムでは、完璧な体を持つ人だけが運動しているわけではありません。「自分の体を自分でメンテナンスする」という共通認識のもと、いろんな人がいろんな目的で動いている。

ダイエットのため。メンタルヘルスのため。ただの習慣として。医者に言われたから。友達に誘われたから。

運動する理由も、体型も、方法も、多様でいい。この空気感が、日本にはまだ足りないのかもしれません。

心理学者のアルバート・バンデューラが提唱した「社会的学習理論」は、人間の行動が周囲の行動を観察することで学習されると説明しています[1]。ホテルのジムで多様な人々が運動している光景を目にすること自体が、「自分もやっていいんだ」というメッセージになります。逆に、ジムに行って誰もいなければ、「自分はここにいるべきではないのかもしれない」と感じてしまう。

ソロモン・アッシュの有名な同調実験(1951年)は、人が周囲の多数派に引きずられて、明らかに間違った答えでも合わせてしまうことを示しました[2]。同調圧力は、行動の抑制にも働きます。「周りの日本人は誰もジムに行っていない」という暗黙のメッセージが、「自分も行かないほうがいい」という無意識の判断を生み出しているのです。

「恥」の文化とフィットネスの壁

文化人類学者のルース・ベネディクトは、著書『菊と刀』(1946年)で日本の文化を「恥の文化」と特徴づけました[3]。この分析は単純化しすぎている面もありますが、「周囲の目」が行動を規定する傾向は、現代の日本にも残っています。

日本のジムは、なぜか「ちゃんとした人」の場所というイメージがあります。

ウェアを揃えないといけない。フォームが正しくないと恥ずかしい。周りの目が気になる。

2022年のフィットネス関連の意識調査では、日本人がジムに行かない理由として「体型に自信がない」「初心者だと思われたくない」「やり方がわからなくて恥ずかしい」が上位に挙がっています[4]。つまり、「運動したくない」のではなく、「運動している姿を見られたくない」のです。

これは興味深いパラドックスです。体を良くするために行く場所なのに、体が良くないと行きにくい。

一方、アメリカのPlanet Fitnessは「Judgement Free Zone(批判のないゾーン)」をスローガンに掲げ、月額10ドルという低価格で初心者層を取り込みました。会員数は2023年時点で約1,900万人に達し、アメリカ最大のジムチェーンになっています[5]。「上手じゃなくていい、完璧じゃなくていい」というメッセージを前面に出すことで、これまでジムに足を踏み入れなかった層を動かしたのです。

「出張中も動く」という習慣の意味

出張中にジムに行く人々が示しているのは、運動が「特別なイベント」ではなく「日常のルーティン」になっているということです。

行動科学者のB.J.フォッグは、習慣を定着させる鍵は「行動をアイデンティティの一部にすること」だと述べています[6]。「運動する人」というアイデンティティを持っている人は、出張先でも、旅行先でも、環境が変わっても運動します。それは「やること」ではなく「自分がそういう人間であること」だからです。

一方、運動が「やること」に留まっている人は、環境が変わると途端にやめてしまいます。「今日はホテルだから」「器具が違うから」「時差ボケだから」。できない理由は無限に見つかります。

私自身、海外の学会で朝ジムに行くようになってから気づいたことがあります。朝の30分の運動で、時差ボケの回復が明らかに早くなるのです。これは概日リズムの調整に運動が役立つことを示した研究とも一致しています[7]。体を動かすことで体内時計がリセットされ、現地時間への適応が促進されます。

つまり、出張中の運動は「余裕がある人の趣味」ではなく、「パフォーマンスを維持するための合理的な投資」です。

「歯磨き」としての運動

でも、歯を磨くのにブランドの歯ブラシが必要ですか? 完璧な磨き方を身につけてからでないと歯を磨いてはいけませんか?

運動も同じです。「ちゃんとしてから始めよう」と思っている限り、永遠に始まりません。

「完璧主義」は行動の最大の敵です。心理学者のトーマス・カーランは、完璧主義が過去30年間で増加傾向にあり、特に若い世代で顕著であると報告しています[8]。SNSで「完璧なトレーニング風景」を見せる投稿が増えたことで、「自分もああでなければ」というプレッシャーがさらに高まっています。

しかし、研究が繰り返し示しているのは、運動の効果は「完璧にやること」ではなく「とにかくやること」に依存するということです。週に150分の中強度運動が推奨されていますが、それに満たない運動でも、何もしないよりは圧倒的に健康効果があります[9]。「完璧にやるか、やらないか」の二者択一ではなく、「少しでもやる」が正解です。

「完璧じゃなくていい」。そこから始まる

ホテルのジムで、Tシャツに短パンで走っている外国人のビジネスパーソンたちは、教えてくれます。

「完璧じゃなくていい。ただ、やればいい」と。

彼らの多くは、特別なウェアも、特別なサプリメントも持っていません。出張用の運動靴を一足カバンに入れている。それだけです。そのシンプルさが、「運動は特別なこと」という日本人の思い込みを静かに否定してくれます。

ホテルのジムは、国ごとの運動文化を映す鏡です。その鏡に映っている日本人の姿は、「運動したくない人」ではなく、「運動してもいいと思えていない人」なのかもしれません。

その気づきが、最初の一歩になります。

この章のポイント

  • 海外のホテルのジムに日本人はほぼいない。この光景は個人の問題ではなく、文化的な構造を映している
  • 海外のジムには多様な人がいる。運動する理由も体型も方法も多様でいい。この空気感が「自分もやっていい」というメッセージになる
  • 日本人がジムに行かない理由の上位は「体型に自信がない」「初心者だと思われたくない」。運動したくないのではなく、見られたくない
  • 運動が「やること」ではなく「自分がそういう人間であること」になれば、環境が変わっても続けられる。完璧じゃなくていい、ただ、やればいい

参考文献 [1] Bandura A. Social Learning Theory. Prentice Hall, 1977. [2] Asch SE. Effects of group pressure upon the modification and distortion of judgments. In: Guetzkow H, ed. Groups, Leadership and Men. Carnegie Press, 1951:177-190. [3] Benedict R. The Chrysanthemum and the Sword. Houghton Mifflin, 1946. [4] 経済産業省. フィットネス産業に関する調査報告書. 2022. [5] Planet Fitness Inc. Annual Report 2023. [6] Fogg BJ. Tiny Habits: The Small Changes That Change Everything. Houghton Mifflin Harcourt, 2019. [7] Youngstedt SD, et al. Human circadian phase-response curves for exercise. J Physiol. 2019;597(8):2253-2268. [8] Curran T, Hill AP. Perfectionism is increasing over time: A meta-analysis of birth cohort differences from 1989 to 2016. Psychol Bull. 2019;145(4):410-429. [9] Wen CP, et al. Minimum amount of physical activity for reduced mortality and extended life expectancy. Lancet. 2011;378(9798):1244-1253.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第42回です。 前回 → 第41回「なぜ海外の人は朝からジムにいるのか」