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部活で終わる国

日本の運動のピークは、10代です。10〜19歳の82.4%が運動・スポーツに関心があると答え、週5回以上運動している割合も50%を超えています[1]。ところが20代になると、運動習慣率は急落する。20代女性の運動習慣率は14.5%。全年代で最低です。 何が起きているのか。

部活という「パッケージ」

部活です。

日本の学校教育では、運動は「部活動」としてパッケージ化されています。毎日放課後に練習し、土日も試合がある。厳しい上下関係の中で、監督の指示通りに動く。

中学・高校の6年間、あるいは大学まで含めれば10年間、多くの人が部活を通じて運動します。そして卒業した瞬間に、ぱたりとやめる。

なぜか。部活は「自分のための運動」ではなく、「チームのための運動」「勝つための運動」だったからです。

この構造は、数字にも表れています。スポーツ庁の調査によれば、中学校の運動部活動への加入率は約65%に達します[2]。これは世界的に見ても異例の高さです。アメリカの中学・高校のスポーツ参加率は約40%(National Federation of State High School Associations調べ)[3]。しかし、アメリカでは学校スポーツに参加していない生徒も、地域のクラブやYMCA、自主的なランニングなど「学校外の運動」を続ける選択肢が豊富にあります。

日本では「運動=部活」というほぼ唯一のチャネルに集中しているのです。そして、そのチャネルが卒業と同時に閉じる。

「体の声」を聴けない構造

自分がなぜ走っているのか。自分がなぜ泳いでいるのか。自分の体にとって何が必要なのか。

部活では、こうした問いが立ちにくい。メニューは監督が決める。ペースもチームに合わせる。個人の体の声を聴く余地が、構造的に少ないのです。

心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論」は、人間のモチベーションには「自律性」「有能感」「関係性」の三つが必要だと説いています[4]。部活は「関係性」を強く提供する一方で、「自律性」。自分で選び、自分で決めるという感覚。が構造的に不足しがちです。

メニューを自分で決められない。休みたい時に休めない。「今日は軽めにしよう」と自分の体の状態に合わせることが許されない。

こうした環境で育った人にとって、「自分で決める運動」は未知の領域です。何をすればいいかわからない。どのくらいやればいいかわからない。監督もチームメイトもいない。だから、部活を引退すると「もうやらなくていい」と感じる。運動が「義務」だったから、義務がなくなれば動機も消える。

スポーツ心理学の研究では、「外発的動機づけ(他者からの指示・報酬)」で行われた活動は、その外的要因が取り除かれると急速に行動が減退することが知られています[5]。部活の「やらされる運動」は典型的な外発的動機づけです。引退後に運動をやめてしまうのは、意志が弱いのではなく、動機の構造がそうなっているからです。

部活の「遺産」。運動=苦しいもの

部活が残す心理的な遺産は、もう一つあります。

運動=苦しいもの、という記憶です。

炎天下のグラウンドで走らされた記憶。水を飲ませてもらえなかった記憶(これは近年改善されつつあるものの、30代以上の世代には鮮明に残っています)。ミスをすると怒鳴られた記憶。膝が痛くても休めなかった記憶。

こうした経験が「運動=快」ではなく「運動=苦痛」として脳に刻み込まれています。行動経済学者のダニエル・カーネマンが提唱した「ピーク・エンドの法則」によれば、人は体験全体ではなく、「最も強烈な瞬間(ピーク)」と「終わりの瞬間(エンド)」で記憶を形成します[6]。部活のピークが「きつくて辛い練習」であり、エンドが「引退の安堵感」であるなら、運動全体が「ネガティブな記憶」として保存されてしまうのです。

スポーツ庁が2022年に公表した「運動部活動の地域移行に関する検討会議」の提言は、まさにこの問題を認識したものでした[7]。少子化による部員数の減少、教師の過重負担、そして「勝利至上主義」がもたらす弊害。部活動を学校から地域に移行し、多様な参加形態を可能にしようという動きが始まっています。

ヨーロッパの「クラブ文化」との比較

ドイツには「スポーツフェライン(Sportverein)」と呼ばれる地域スポーツクラブが約87,000団体あり、約2,700万人が所属しています[8]。人口の約3分の1です。

このクラブは学校とは独立しており、子どもから高齢者まで、競技志向の人も趣味の人も、同じクラブで活動しています。卒業しても、転職しても、引越しをしても、地域のクラブでスポーツを続ける文化が根づいています。

北欧も同様です。デンマークでは国民の約36%がスポーツクラブに所属しており、「学校の部活」ではなく「地域のクラブ」が運動の主な受け皿になっています[9]。

つまり、運動の「インフラ」が学校に依存していないのです。だから、卒業しても運動が途切れない。

日本の課題は、「部活に代わる受け皿」を社会全体で作ることです。24時間ジム、ランニングクラブ、ヨガスタジオ、クロスフィットボックス。選択肢は増えています。しかし、「運動=部活」という固定観念が、まだ多くの人の行動を縛っています。

70代で再び動き出す人々

ここに、日本のフィットネス参加率が低い原因の一端があると考えています。

「部活のための運動」は卒業と共に終わる。「自分のための運動」に切り替わらなかった人が、20代以降に運動をやめる。

面白いのは、70代以上になると運動習慣率がまた上がることです(男性42.7%、女性35.9%)[1]。定年後に時間ができて、「自分のため」に初めて運動を始める人がいる。

40年のブランク。もったいないと思いませんか。

この「U字カーブ」は、日本独特の現象です。欧米のデータでは、運動習慣率は加齢とともに緩やかに低下する傾向が一般的です。日本だけが、20代で急落し、70代で回復するという特異なパターンを示しています。

これは、20代〜60代の日本人が「運動したくない」のではなく、「運動する仕組みがない」ことを物語っています。学校を出たら部活がなくなり、定年を迎えたら時間ができる。その間の40年間に、運動を支える「仕組み」が不在なのです。

「自分のための運動」への切り替え

運動は、部活の延長ではありません。自分の体と向き合う、個人的な営みです。

20代で部活を引退した人に伝えたいことがあります。あなたが「運動嫌い」だと思っているもの、それは運動そのものへの嫌悪ではなく、「やらされた運動」への嫌悪かもしれません。

自分で選び、自分のペースで、自分の目的で動く。その体験は、部活とはまったく別のものです。

70代まで待つ必要はありません。「自分のための運動」は、今日から始められます。

この章のポイント

  • 日本では運動が「部活」というパッケージに集中し、卒業と同時にぱたりと止まる
  • 自己決定理論が示す「自律性」が構造的に欠けているため、外発的動機が消えると行動も消える
  • ピーク・エンドの法則により、部活経験は「運動=苦痛」の記憶として脳に保存されやすい
  • ドイツ・北欧のような地域クラブ文化が日本にはなく、20代〜60代の40年間に「仕組み」が不在

参考文献 [1] 笹川スポーツ財団. スポーツライフ・データ 2023. [2] スポーツ庁. 運動部活動の現状について. 2023. [3] National Federation of State High School Associations. High School Athletics Participation Survey. 2022-23. [4] Deci EL, Ryan RM. Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation. Am Psychol. 2000;55(1):68-78. [5] Vallerand RJ. Intrinsic and extrinsic motivation in sport and physical activity. In: Handbook of Sport Psychology. Wiley, 2007:59-83. [6] Kahneman D. Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux, 2011. [7] スポーツ庁. 運動部活動の地域移行に関する検討会議提言. 2022. [8] Deutscher Olympischer Sportbund (DOSB). Bestandserhebung 2023. [9] Danish Institute for Sports Studies. Sports Participation in Denmark 2023.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第43回です。 前回 → 第42回「ホテルの朝のジムに日本人はいない」