社会的伝染の話を、もう一度します。今度は、データの話ではなく、あなた自身の話として。
Yさんが起点だった。1人から6人への連鎖
3年前、ジムの仲間のYさんが、妻を連れてきました。
Yさんは40代の経営者で、クロスフィットを始めて2年目でした。体が変わり、メンタルが安定し、睡眠の質が上がった。その変化を毎日見ていた奥さんが、ある日「私もやってみたい」と言ったそうです。
奥さんは運動経験がほとんどありませんでした。最初のクラスでは、PVCパイプ(練習用の軽い棒)だけでスクワットをしていました。バーベルなんて触ったことがない。
1年後。奥さんはデッドリフト60kgを引いていました。「人生で初めて、自分の体に自信が持てた」と言っていました。
そして、奥さんがママ友を3人誘いました。そのうち2人が今も続けています。2人のうち1人は、自分の夫を連れてきました。
Yさん1人が始めたことが、1年半で6人に波及したのです。
「3次の隔たり」まで届く影響
これは偶然ではありません。科学的に実証された現象です。
ハーバード大学のNicholas ChristakisとJames Fowlerは、フラミンガム心臓研究のデータ(約12,000人、32年間追跡)を分析し、健康行動が社会的ネットワークを通じて「伝染」することを示しました[1]。
彼らの研究で最も驚くべき発見は、影響が「3次の隔たり」まで及ぶことです。
あなたの友人が運動を始めると、あなたが運動を始める確率が上がる(1次の隔たり)。さらに、あなたの友人の友人が運動を始めると、あなたにも影響がある(2次の隔たり)。そして、友人の友人の友人の行動変容すら、あなたに微小な影響を与える(3次の隔たり)。
一人が変わると、ネットワーク全体に波紋が広がる。まさに、社会的伝染です。
なぜ運動は伝染するのか。4つのメカニズム
なぜ運動は伝染するのでしょうか。複数のメカニズムが考えられています。
社会的比較(Social Comparison)。 人間は、身近な人の行動を参照点として使います。友人がジムに通い始めて体が変わると、「自分もああなりたい」あるいは「自分もやらなきゃ」という動機が生まれます。Festingerの社会的比較理論[2]によれば、人は自分に近い属性を持つ他者と比較する傾向があり、友人の行動変容は最も強い比較刺激になります。
社会的規範(Social Norms)の変化。 周囲に運動する人が増えると、運動することが「普通のこと」になっていきます。「ジムに行っている」と言っても驚かれない環境では、新しく始める心理的ハードルが下がります。第41回で書いた通り、フィットネス参加率20%のアメリカでは、運動は「特別なこと」ではなく「当たり前のこと」。その規範の違いが、参加率の差に直結しています。
具体的なモデルの提示。 「運動は健康にいい」という抽象的な情報より、「〇〇さんがこんなに変わった」という具体的な事例のほうが、行動変容を引き起こします。モデリング効果と呼ばれるこの現象は、Banduraの社会的学習理論[3]の中核概念です。あなた自身が「動いている姿」を見せること自体が、周囲へのモデリングになっています。
実用的な情報の伝達。 「どのジムに通っているの?」「何を食べているの?」「いつ行っているの?」。こうした会話を通じて、運動を始めるための具体的な情報が伝わります。「良い」とわかっていても始められないのは、「何をすればいいのか」がわからないからです。あなたが自分の体験を話すことで、その情報障壁が下がります。
SNS時代の伝染。Stravaのデータが示すもの
SNSの時代、この伝染効果はさらに増幅されています。
MIT Sloan School of ManagementのSinan Aralらの研究では、ソーシャルメディア上で運動の記録を共有すると、フォロワーの運動量が増加することが実証されています[4]。しかも、この効果は一時的ではなく、持続的に観察されました。
ランニングアプリStravaのデータを分析した研究では、SNS上で友人のランニング記録を見た人が、翌日のランニング距離やペースを上げる傾向が確認されています。つまり、あなたがInstagramに「朝ラン5km」と投稿するだけで、フォロワーの誰かの行動に影響を与えている可能性があるのです。
もちろん、SNSには「比較して落ち込む」リスクもあります。第47回で「SNS時代の比較から降りる」と書きました。でも、運動の記録を共有することは、「見栄を張る」ことではなく、「自分の旅を記録する」ことです。その記録が、誰かの旅の始まりになることがある。
文章も行動を伝染させる
私自身、この「伝染」を何度も目撃してきました。
ジムの仲間が、一人、また一人と友人を連れてくる。最初は「見学だけ」と言っていた人が、2回目には自分のシューズを持ってくる。3ヶ月後には、毎朝顔を合わせる仲間になっている。
職場の同僚に「最近、何か始めた? 雰囲気変わったね」と言われたこともあります。意図せず、自分の変化が周囲に信号を送っていたのです。
この連載自体も、一つの「伝染」の試みだと思っています。noteの記事を読んだ誰かが、「動いてみようかな」と思う。その人が実際に動き始める。その人の変化を見た誰かが、また動き始める。
文章も、行動を伝染させるメディアになりうる。
最も小さく、最も確実な変化の単位
フィットネス参加率を4%から5%に上げるのは、政策や企業の仕事だけではありません。
あなたが動き始めることが、最も小さく、最も確実な変化の単位です。
一人の人間が変わると、その周囲の3次のネットワークまで影響が及ぶ。あなたが動き始めた瞬間、すでに誰かに影響を与えている。本人がそれに気づいていなくても。
明日の朝、10分だけ歩いてみてください
この連載を読んで、もし「動いてみようかな」と少しでも思ったなら、まず一つだけお願いがあります。
明日の朝、10分だけ歩いてみてください。
そして、その10分のことを、誰かに話してみてください。LINEでも、ランチの会話でも、Instagramのストーリーズでもいい。
あなたの10分が、誰かの最初の一歩になるかもしれません。
その一歩が、次の一歩を生み、次の次の一歩を生む。
社会は、こうして変わっていくのだと思います。
この章のポイント
- Yさんが1人始めたことが、1年半で6人に波及した。社会的伝染は比喩ではなく事実
- ChristakisとFowlerの研究が示した通り、影響は3次の隔たりまで及ぶ
- 伝染の4メカニズム。社会的比較・規範変化・モデル提示・実用情報。あなたの存在そのものが他者のモデリングになる
- 明日10分歩いて、誰かに話す。その一歩が、あなたが想像する以上に遠くまで届く
参考文献 [1] Christakis NA, Fowler JH. Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. Little, Brown and Company. 2009. [2] Festinger L. A theory of social comparison processes. Hum Relat. 1954;7(2):117-140. [3] Bandura A. Social Learning Theory. Prentice Hall. 1977. [4] Aral S, Nicolaides C. Exercise contagion in a global social network. Nat Commun. 2017;8:14753.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第84回です。 前回 → 第83回「9年間続けてきた。これからも続ける」