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7,000歩で心が変わる

ここまで、ジョギングや筋トレ、クロスフィットの話をしてきました。

「ハードルが高い」と感じた方もいるかもしれません。今日はもっとシンプルな話をします。

歩くだけで、心は変わります。


96,000人のデータが示す「歩数とメンタル」の関係

2024年、JAMA Network Openに発表されたメタ分析があります。96,173人のデータを統合し、1日の歩数と抑うつリスクの関係を分析した研究です[1]。

結果はこうでした。

1日7,000歩以上歩く人は、抑うつリスクが31%低い。しかも、1,000歩増えるごとに、リスクがさらに9%下がる。

特別なウェアも、ジムの会員証もいりません。歩くだけです。

この研究が重要なのは、「加速度計」による客観的な測定データを使っている点です。従来の研究の多くは自己申告による運動量に基づいていましたが、人は自分の活動量を正確に申告できないことが知られています。ウェアラブルデバイスの普及により、初めて大規模な客観データに基づく分析が可能になりました。


「1万歩」は過大評価だった

面白いのは、「7,000歩」という数字です。

よく言われる「1万歩」ではない。実は「1日1万歩」という目標には、しっかりした科学的根拠がありませんでした。1965年に日本の歩数計メーカー・山佐時計が「万歩計」という商品を発売したことに由来するマーケティング上の数字だったのです[2]。

近年の研究は、もっと少ない歩数で十分な効果があることを次々と明らかにしています。

2022年のランセットに発表されたメタ分析(47,471人のデータ)では、60歳以上では1日6,000〜8,000歩で死亡リスクの低減効果が最大に達し、60歳未満でも8,000〜10,000歩で効果が頭打ちになることが示されました[3]。つまり、1万歩を超えて歩いても、追加の健康効果はごく限定的。

7,000歩は、通勤で少し歩いて、昼休みに10分散歩して、帰りに一駅歩くくらいで届く数字です。

日常の中で、少し意識するだけで届く閾値。ここがポイントです。


歩行とメンタルヘルスの科学

「歩くだけで気分が良くなる」のは、なぜなのでしょうか。

まず、リズミカルな歩行運動は、脳幹のセロトニン神経を活性化することがわかっています[4]。一定のリズムで足を運ぶ反復運動が、セロトニンの分泌を促す。これは走っても、歩いても起きる現象です。

次に、屋外の歩行には「日光」と「自然」という追加のメンタルヘルス効果があります。スタンフォード大学の研究では、自然環境の中を90分歩いた参加者は、都市の幹線道路沿いを歩いた参加者に比べて、前頭前皮質のネガティブな反芻思考(同じ心配事をぐるぐる考えること)に関わる活動が有意に低下していました[5]。

そして、日光を浴びることで体内のビタミンDが合成されます。ビタミンDの低値はうつ病のリスク因子であり、特に冬場の日照時間が短い地域では、意識的に日光を浴びることがメンタルヘルスに重要です[6]。

つまり、「外を歩く」という行為は、リズム運動(セロトニン)+ 自然暴露(反芻思考の軽減)+ 日光(ビタミンD)という三つの経路で心に作用している可能性があります。


日本人の歩数の現実

では、日本人は実際にどのくらい歩いているのでしょうか。

厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によると、成人の1日の平均歩数は男性で約6,794歩、女性で約5,942歩です[7]。つまり、男性は7,000歩の手前、女性は1,000歩以上足りない。

しかも、この数字は2010年代前半から減少傾向にあります。コロナ禍でリモートワークが増えた2020〜2021年には、さらに500〜1,000歩減ったと推計されています。

世界的に見ても、日本人の歩数は決して多くはありません。スタンフォード大学がスマートフォンのデータを使って70万人以上を分析した研究では、日本人の平均歩数は1日約6,010歩で、香港(6,880歩)やイギリス(5,444歩)と大差なく、中国(6,189歩)とほぼ同じでした[8]。

「日本人はよく歩く」というイメージがあるかもしれませんが、データはそれを支持していません。


「歩く街」と「歩けない街」。都市設計とメンタルヘルス

歩数は、個人の意志だけで決まるものではありません。

「歩きやすい街」に住んでいる人は、そうでない街の人より、日常的に多く歩きます。これは当然のことのようですが、メンタルヘルスの観点から重要な含意があります。

オーストラリアの研究では、「ウォーカビリティ(歩きやすさ)」が高い地域に住む人は、低い地域の住民に比べて、うつ症状の有病率が約15%低いことが報告されています[9]。

コペンハーゲンは世界で最も「歩きやすい街」の一つとして知られています。市内の歩行者専用エリアは1962年以降拡大を続け、現在では中心部の約100,000平方メートルが歩行者天国になっています。市民の幸福度は世界トップクラスです[10]。

東京にも「歩きやすいエリア」はあります。しかし、郊外のベッドタウンでは、駅からバスに乗り、車で買い物に行く生活が一般的で、1日3,000〜4,000歩しか歩かない人も珍しくありません。

都市設計とメンタルヘルスは、思っている以上に密接に関係しています。


歩くことの「民主性」

私はクロスフィットのような高強度の運動を推奨していますが、同時に「それが全員に合うわけではない」こともわかっています。

ジムの会員費は月1万円以上かかります。高強度の運動には怪我のリスクもあります。持病がある人、高齢の人、運動が苦手な人には、ハードルが高い。

でも、歩くことには、これらの障壁がほぼありません。

  • 無料です。
  • 特別な技術がいりません。
  • 怪我のリスクが極めて低い。
  • 年齢や体力に関係なくできます。
  • 天気さえよければ、今すぐ始められます。

歩行は、最も「民主的」な運動です。

大事なのは「動くかどうか」であって、「何をするか」ではありません。

歩くだけでいい。7,000歩でいい。それだけで、心の状態は変わり得る。


あと2,000歩のハードル

今日、あなたは何歩歩きましたか?

スマホの歩数計を開いてみてください。もし5,000歩なら、あと2,000歩。10分の散歩で届きます。

具体的にどうすれば歩数を増やせるか、いくつかのヒントを置いておきます。

  • 一駅手前で降りる:これだけで約1,000〜1,500歩増えます
  • 昼休みに10分歩く:約1,000歩
  • エレベーターではなく階段を使う:これは歩数よりも心拍数を上げる効果が大きい
  • 電話をしながら歩く:デスクに座っている必要のない通話は、歩きながら
  • 買い物は歩いて行く:車やバスの代わりに

どれも、特別な「運動の時間」を確保する必要がない。日常の中に組み込むだけです。

7,000歩は、意志の力ではなく、生活の設計で達成できます。

歩行は、最も「民主的」な運動です。

この章のポイント

  • JAMA Network Openのメタ分析(96,173人):1日7,000歩で抑うつリスクが31%低下
  • 「1日1万歩」は1965年の歩数計マーケティング由来の数字。科学的には7,000歩で十分
  • 屋外歩行は、リズム運動・自然暴露・日光の3経路でメンタルに作用する
  • 歩くことには金銭・技術・怪我のリスクという障壁がほぼない。最も民主的な運動である

参考文献 [1] Bizzozero-Peroni B, et al. Daily step count and depression in adults: a systematic review and meta-analysis. JAMA Network Open. 2024. [2] Tudor-Locke C, et al. How many steps/day are enough? Preliminary pedometer indices for public health. Sports Med. 2004;34(1):1-8. [3] Paluch AE, et al. Daily steps and all-cause mortality: a meta-analysis of 15 international cohorts. Lancet Public Health. 2022;7(3):e219-e228. [4] Jacobs BL, Fornal CA. Activity of serotonergic neurons in behaving animals. Neuropsychopharmacology. 1999;21(2 Suppl):9S-15S. [5] Bratman GN, et al. Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation. Proc Natl Acad Sci. 2015;112(28):8567-8572. [6] Anglin RES, et al. Vitamin D deficiency and depression in adults: systematic review and meta-analysis. Br J Psychiatry. 2013;202(2):100-107. [7] 厚生労働省. 令和4年 国民健康・栄養調査結果の概要. [8] Althoff T, et al. Large-scale physical activity data reveal worldwide activity inequality. Nature. 2017;547(7663):336-339. [9] Koohsari MJ, et al. Walkability and depression: a systematic review and meta-analysis. J Urban Health. 2023. [10] City of Copenhagen. Copenhagen City of Architecture. 2023.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第15回です。 前回 → 第14回「週2回の筋トレでうつリスク33%低下」