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ケガをしないための知識

運動で最も大切なこと。それは「ケガをしないこと」です。ケガをすると、すべてが止まります。習慣が途切れ、モチベーションが消え、復帰するハードルが上がる。これまで積み上げてきたものが、一瞬で崩れます。今日は医師として、そして9年間のクロスフィッターとして、ケガについて知っておくべきことを書きます。

調子が良い時ほど危ない

これは医師として、そしてクロスフィッターとして、何度も見てきた現実です。

調子が良い時ほど危ない。「もう少しいける」と思った時に、体は壊れる。

肩の腱板損傷、腰椎の椎間板ヘルニア、膝の前十字靭帯損傷。一度の無理が、数ヶ月の離脱につながります。

私自身の体験を正直に書きます。クロスフィットを始めて3年目、デッドリフトで自己最高記録を更新した翌週のことでした。「調子がいいから、もう少し重量を上げよう」と思い、フォームが崩れているのを自覚しながらも持ち上げた。その瞬間、腰に鋭い痛みが走りました。

結果は腰椎のヘルニア。3ヶ月間、バーベルに触れませんでした。最初の2週間は座っているだけで痛かった。医師として「フォームが崩れたら止めるべきだ」とわかっていたのに、アスリートとしての自分がそれを無視してしまった。

このエピソードは、ケガの最大のリスク要因が「過信」であることを私に教えてくれました。

ケガの疫学。どこで、なぜ、ケガは起きるのか

運動中のケガについて、データを見てみましょう。

2019年のBritish Journal of Sports Medicineのシステマティックレビューによると、レクリエーショナルな運動におけるケガの発生率は、1,000時間あたり約3.1件です[1]。種目別に見ると以下の通りです。

種目発生率(件/1,000時間)
ランニング2.5〜12.1
サッカー3.7〜4.8
クロスフィット0.27〜3.3
ウェイトトレーニング0.24〜5.5
ヨガ0.1〜1.0

意外かもしれませんが、ランニングのケガの発生率はかなり高いです。膝、足首、足底筋膜へのオーバーユース(使いすぎ)障害が主な原因です。

ケガが起きる主な要因は、以下の5つに分類されます[2]。

  1. 不適切なフォーム(テクニックエラー) 、 最も多い要因。正しい動きのパターンが身についていない状態で負荷を上げると、関節や腱に過度なストレスがかかります。
  2. オーバーロード(過負荷) 、 体が適応できる以上の負荷を急激にかけること。「先週まで40kgだったのに今週いきなり60kg」のような急な増量が典型例です。
  3. オーバーユース(使いすぎ) 、 十分な回復期間を取らずに同じ動きを繰り返すこと。ランナーの膝痛、テニス肘などが代表例です。
  4. ウォームアップ不足 、 筋温が低い状態、関節の可動域が確保されていない状態でのトレーニング。
  5. 疲労蓄積 、 睡眠不足、栄養不足、ストレスによる全身の疲労が、集中力とフォームの質を低下させます。

ケガを防ぐための5つの原則

原則1:ウォームアップを省略しない

筋温を上げ、関節の可動域を確保してから本番に入る。5〜10分のウォームアップで、ケガのリスクは大幅に下がります[3]。

メタ分析では、適切なウォームアップがケガのリスクを最大50%低減させることが示されています[3]。特に効果が高いのは、ストレッチだけの静的ウォームアップではなく、実際の運動パターンを低強度で行う「動的ウォームアップ」です。

FIFAが開発した「11+」というウォームアッププログラムは、サッカー選手のケガを30〜50%減少させたことで知られています[4]。このプログラムは、ランニング、バランス、ジャンプ、体幹トレーニングを組み合わせた15分のメニューです。サッカーに限らず、あらゆる運動の前に応用できる考え方です。

具体的なウォームアップの構成は以下の通りです。

  1. 全身の血流促進(3分): 軽いジョギング、ジャンピングジャック、ローイングなど
  2. 関節の可動域確保(3分): 股関節回し、肩回し、手首・足首の回旋
  3. 動的ストレッチ(3分): レッグスイング、アームサークル、インチワーム
  4. 種目固有のプライミング(2分): その日のメニューの動きを軽い負荷で予行演習

原則2:フォームを最優先する

重量よりフォーム。スピードよりフォーム。「正しい動き」を体に覚えさせてから、負荷を上げる。フォームが崩れたら、その日は終わりです。

これは私がクロスフィットで最も大切にしている原則です。ジムのコーチは常にこう言います。

Weight follows form(重量はフォームの後に来る)。

スクワットを例に取りましょう。正しいスクワットのフォームを習得するには、まず自重で膝が内側に入らない動きを確認し、次にPVCパイプ(軽い棒)を担いで練習し、その後に空のバーベル(20kg)、そして少しずつ重量を足していく。この段階を飛ばして「隣の人が80kg担いでいるから自分も」と考えると、ケガの確率が跳ね上がります。

特に注意すべき動きは以下の3つです[5]。

  • デッドリフト: 腰が丸まった状態での挙上は椎間板への負荷が急増します。腰のニュートラルポジション(自然な湾曲)を維持することが最重要です。
  • オーバーヘッドプレス: 肩関節は人体で最も可動域が大きい関節ですが、その分不安定でもあります。頭上への動きは、肩甲骨の安定性が確保されてから行うべきです。
  • ランニングフォーム: かかと着地(ヒールストライク)は、体重の1.5〜3倍の衝撃が膝に伝わります。ミッドフット着地を意識し、ストライドを短くすることでケガのリスクを軽減できます。

原則3:「10%ルール」を守る

運動強度や量の増加は、週あたり10%以内に抑える。これは「10%ルール」として広く知られている原則です[6]。

先週の合計ランニング距離が20kmなら、今週は最大22km。先週のスクワットのMax重量が80kgなら、今週チャレンジするのは最大88kg。

このルールは、筋肉、腱、靭帯、骨の適応速度に基づいています。筋肉は比較的早く(数日〜数週間で)トレーニングに適応しますが、腱や靭帯の適応にはより長い時間(数週間〜数ヶ月)がかかります[6]。筋力がついたからといって急に負荷を上げると、筋肉は耐えられても腱や靭帯が追いつかず、損傷を起こすのです。

原則4:痛みを無視しない

「筋肉痛」と「関節の痛み」は違います。この区別を知ることが、ケガの予防において極めて重要です。

筋肉痛(DOMS: Delayed Onset Muscle Soreness): 運動の24〜72時間後にピークを迎える、筋肉の鈍い痛み。正常な反応であり、筋肉の微細な損傷と修復のプロセスです。通常、3〜5日で自然に解消します[7]。

関節の痛み: 運動中または運動直後に感じる、鋭い痛みや「おかしい」感覚。特に、膝、肩、腰、手首に感じる痛みは、体からの明確な警告です。

判断基準として、以下を覚えておいてください。

症状意味
筋肉が張っている・重い正常。軽い運動で回復促進
関節が刺すように痛い・引っかかる警告。動きを中止
痛みが1週間以上続く医療機関を受診
腫れ・熱感・皮膚の変色を伴うすぐに医療機関を受診

原則5:休息をトレーニングの一部と考える

休む日は「サボっている日」ではありません。体が強くなるのは、トレーニング中ではなく、休息中です。

これは「超回復(Supercompensation)」の原理として知られています[8]。トレーニングで一時的に低下した体力が、休息期間中に元のレベルを超えて回復する現象です。適切な休息なしに次のトレーニングを行うと、回復が追いつかず、パフォーマンスが低下し続けます。

オーバートレーニング症候群。「もっとやれば効く」の落とし穴

過度な運動のリスクについても知っておくべきです。

オーバートレーニング症候群(OTS)は、休息が不十分な状態で運動を続けた結果、慢性的な疲労、パフォーマンスの低下、免疫機能の低下、メンタルの不安定を引き起こす状態です[9]。

初期症状は以下の通りです。

  • パフォーマンスが停滞または低下する
  • 安静時心拍数が普段より高い
  • 睡眠の質が低下する(寝つきが悪い、中途覚醒が増える)
  • 気分の落ち込み、イライラ、やる気の低下
  • 風邪をひきやすくなる
  • 食欲の変化

「もっとやれば効く」は、危険な思い込みです。適度な運動は免疫を強化しますが、過度な運動は逆に免疫を抑制します。これを「Jカーブ仮説」と呼びます[10]。運動量と免疫機能の関係をグラフにすると、適度な運動までは免疫が上がり、そこを超えると逆に低下するJ字型の曲線を描くのです。

プレハビリテーション。ケガを「治す」のではなく「予防する」

医学では「リハビリテーション」という言葉が一般的ですが、近年「プレハビリテーション(Prehabilitation)」という概念が注目されています。ケガをしてから治すのではなく、ケガをする前に予防する、という考え方です[11]。

具体的には、以下の要素を日常のトレーニングに組み込むことが推奨されています。

  • モビリティワーク: 股関節、胸椎、足首、肩の可動域を維持・改善する運動。毎日5〜10分で十分です。
  • バランストレーニング: 片足立ち、ボスボールでのスクワットなど。プロプリオセプション(固有受容覚)を鍛えます。
  • コアスタビリティ: プランク、デッドバグ、バードドッグなど。体幹の安定性は、あらゆる動きの土台です。
  • フォームチェック: 定期的にコーチや経験者にフォームを見てもらう。自分では気づかない癖を修正します。

ケガをしない。これが最優先事項です

ケガをしなければ、長く続けられる。長く続ければ、すべての恩恵が得られます。

9年間で学んだ最大の教訓は、「1日の記録更新よりも、10年の継続のほうがはるかに価値がある」ということです。今日、自己ベストを更新するために無理をしてケガをすれば、明日から3ヶ月間何もできなくなるかもしれない。

焦らないでください。体は必ず応えてくれます。ただし、それは体の声を聞き、適切な休息を与え、正しいフォームで動いた場合に限ります。

ケガをしない。これが、運動における最優先事項です。

この章のポイント

  • ケガの最大のリスク要因は「過信」。調子が良い時ほど危ない
  • 不適切なフォーム、オーバーロード、オーバーユース、ウォームアップ不足、疲労蓄積。この5つが主要因
  • ウォームアップ・フォーム最優先・10%ルール・痛みを無視しない・休息を一部と考える、この5原則が予防の軸
  • 1日の記録更新より、10年の継続のほうがはるかに価値がある

参考文献 [1] Bleakley CM, et al. Sports and recreation-related injury episodes in the UK. Br J Sports Med. 2019;53(12):775-781. [2] Bahr R, Krosshaug T. Understanding injury mechanisms: a key component of preventing injuries in sport. Br J Sports Med. 2005;39(6):324-329. [3] Fradkin AJ, et al. Does warming up prevent injury in sport? The evidence from randomised controlled trials. J Sci Med Sport. 2006;9(3):214-220. [4] Soligard T, et al. Comprehensive warm-up programme to prevent injuries in young female footballers: cluster randomised controlled trial. BMJ. 2008;337:a2469. [5] Schoenfeld BJ. Squatting kinematics and kinetics and their application to exercise performance. J Strength Cond Res. 2010;24(12):3497-3506. [6] Nielsen RO, et al. Training load and structure-specific load: applications for sport injury causality and data analyses. Br J Sports Med. 2018;52(16):1016-1017. [7] Cheung K, et al. Delayed onset muscle soreness: treatment strategies and performance factors. Sports Med. 2003;33(2):145-164. [8] Bompa TO, Buzzichelli CA. Periodization: Theory and Methodology of Training. 6th ed. Human Kinetics, 2018. [9] Kreher JB, Schwartz JB. Overtraining syndrome: a practical guide. Sports Health. 2012;4(2):128-138. [10] Nieman DC. Exercise, infection, and immunity. Int J Sports Med. 1994;15(Suppl 3):S131-S141. [11] Ditmyer MM, et al. Prehabilitation in practice. Clin Sports Med. 2002;21(2):321-340.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第73回です。 前回 → 第72回「朝のルーティンをデザインする」