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ビジネスアスリートという生き方

プロのアスリートには、コンディショニングの専門家がついています。トレーナー、栄養士、睡眠コンサルタント。食事はグラム単位で管理され、睡眠は時間と質の両方が最適化される。トレーニングは周期的に計画され、回復も含めてデザインされています。

NBAのレブロン・ジェームズは、年間150万ドル以上を自身のコンディショニングに投資していると報じられています。専属シェフ、専属トレーナー、クライオセラピー、高圧酸素療法。40歳を超えてなおリーグのトップレベルでプレーし続けているのは、才能だけではなく、体の管理を「仕事の一部」として徹底しているからです。

当たり前です。体がパフォーマンスの源泉だからです。

プロアスリートの「コンディショニング」を分解する

プロスポーツの世界で行われているコンディショニングを、もう少し具体的に見てみましょう。

ピリオダイゼーション(期分け) という概念があります。年間のトレーニングを「準備期」「試合期」「移行期(回復期)」に分け、負荷と回復を計画的にコントロールする手法です[1]。常に全力で練習するのではなく、波を作る。高い負荷をかける期間の後に、意図的に負荷を下げる期間を設ける。そうすることで、最も大事な試合にピークを持っていくのです。

睡眠の管理 も、もはや精神論ではありません。MLBのボストン・レッドソックスやサンフランシスコ・ジャイアンツは、チーム専属の睡眠コンサルタントを雇っています。遠征時の時差対策、試合後のクールダウン・プロトコル、ナイトゲーム後の入眠戦略。すべてが科学的にデザインされています。スタンフォード大学のCheri Mahの研究が示したように、睡眠時間の延長がフリースロー成功率やスプリント速度を向上させるというデータがある以上、睡眠は「サボっていい領域」ではなく「投資すべき領域」なのです[2]。

栄養管理 は、さらに精緻です。マンチェスター・シティFCの栄養管理チームは、選手ごとに試合日、練習日、休息日の食事メニューを個別に作成しています。試合前のカーボローディング、試合後30分以内のプロテイン摂取、水分補給のタイミングと量。「何を、いつ、どれだけ」がすべて設計されています。

ポイントは、これらが「別々の取り組み」ではなく、「一つのシステム」として統合されていることです。トレーニング負荷に応じて栄養を調整し、試合スケジュールに応じて睡眠を調整する。運動・睡眠・栄養の三つが連動した一つのコンディショニング・システムとして機能しています。

体が資本なのは、誰でも同じ

でも、考えてみてください。

ビジネスパーソンにとっても、体はパフォーマンスの源泉ではないでしょうか。

判断力。集中力。ストレス耐性。長時間の会議に耐える体力。締切前の踏ん張り。クライアントとの会食での体調管理。プレゼンテーションの冴え。チームをまとめるエネルギー。

体が資本であることは、アスリートもビジネスパーソンも同じです。

にもかかわらず、多くのビジネスパーソンは体のコンディショニングをほとんどしていません。食事は適当。睡眠は削る。運動はしない。そして「なぜパフォーマンスが上がらないのか」と悩む。

ハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたSchwartz とMcCarthyの論文は、この矛盾を鋭く指摘しています[3]。企業は従業員の「時間管理」には投資するが、「エネルギー管理」にはほとんど投資しない。しかし、パフォーマンスの本質は「どれだけ長く働くか」ではなく、「どれだけ質の高いエネルギーで働くか」にある、と。

睡眠不足の状態で10時間デスクに座るのと、十分に回復した状態で6時間集中するのと、どちらのアウトプットが大きいか。第33回で書いたように、6時間睡眠を2週間続けた人の認知機能は、2日間徹夜した人と同等にまで低下します。その状態で「長時間労働」をしても、効率は上がるどころか下がる一方です。

「ビジネスアスリート」という概念

「ビジネスアスリート」という言葉を提案したいのです。

仕事で成果を出し続けるために、体を戦略的にコンディショニングする人。プロアスリートと同じ発想で、動く・眠る・食べるを総合的に管理する人。

大げさな話ではありません。

実際に、この発想を実践している経営者やビジネスリーダーは増えています。

Amazonのジェフ・ベゾスは「8時間睡眠」を公言し、重要な判断は必ず午前中に行うと語っています。「睡眠を削ってまで判断の数を増やすより、少ない判断を高い質で行う方がいい」。これはまさにコンディショニングの発想です。Twitterの元CEO、ジャック・ドーシーは毎朝5マイル(約8キロ)のウォーキングと瞑想を日課としていました。

日本でも、サントリーの新浪剛史社長は朝のランニング習慣で知られ、カルビーの松本晃元CEOはジム通いを「仕事の一部」と位置づけていました。彼らに共通するのは、運動を「余暇」ではなく「投資」として捉えているということです。

しかし、ここで強調しておきたいのは、「ビジネスアスリート」は一部のエリートのためのコンセプトではないということです。専属シェフも、パーソナルトレーナーも必要ありません。

この連載で書いてきたことを実践するだけです。週に2〜3回の運動。7時間以上の睡眠。タンパク質を意識した食事。超加工食品を減らす。ウェアラブルで自分の状態を把握する。

エビデンス。コンディショニングが仕事を変える

「ビジネスアスリート」が単なるバズワードではないことを、データで確認しておきましょう。

運動と生産性: リーズ・メトロポリタン大学のCoulsonらの研究では、昼休みにジムで運動した従業員は、運動しなかった日と比べて、仕事のパフォーマンス自己評価が72%向上し、時間管理能力が79%向上したと報告されています[4]。運動した日の午後は、仕事への集中力とモチベーションが明確に高かったのです。

睡眠と判断力: ワシントン大学のBarnesらの研究では、前夜の睡眠の質が翌日のリーダーシップ行動に直接影響を与えることが示されています[5]。十分な睡眠を取ったリーダーは、カリスマ的な振る舞いが増え、部下への虐待的行動が減少しました。チームのエンゲージメントにまで波及効果が観察されています。

栄養と認知機能: 地中海食パターン(野菜、果物、全粒穀物、良質な脂質が豊富な食事)を継続している人は、認知機能の低下リスクが有意に低いことが、複数のコホート研究で報告されています[6]。食事の質は、今日の集中力だけでなく、10年後、20年後の脳の健康にも影響するのです。

健康経営のROI: ジョンソン・エンド・ジョンソンの大規模な健康経営プログラムでは、従業員の健康に1ドル投資するごとに、医療費の削減と生産性の向上を合わせて2.71ドルのリターンが得られたと報告されています[7]。ハーバード大学のBaxterらのメタ分析では、企業のウェルネスプログラムの投資対効果は、医療費で3.27ドル、欠勤費用で2.73ドルの削減効果があると示されています[8]。

つまり、コンディショニングは「贅沢」ではなく「投資」です。個人にとっても、組織にとっても。

第2部のまとめ。三本柱の相互作用

第2部では、動く・眠る・食べるの三本柱が互いに連動していることを見てきました。ここで、15回にわたって書いてきた内容を、一つの絵として整理しておきます。

運動→睡眠: 運動はアデノシンの蓄積を促進し、深部体温の日内変動を大きくし、自然な入眠を助けます(第26回、第27回)。

睡眠→食事: 十分な睡眠は食欲ホルモン(グレリンとレプチン)のバランスを整え、前頭前皮質の機能を維持し、衝動的な食行動を抑制します(第35回)。

食事→運動: 適切なタンパク質摂取は筋肉の回復と成長を支え、十分な栄養は次のトレーニングのエネルギー源となります(第36回)。

運動→食事: 運動はインスリン感受性を改善し、体の解像度を上げ、食事の選択を自然に変えます(第28回)。

睡眠→運動: 十分な睡眠は筋肉の修復、BDNF産生後のシナプス再編成、運動パフォーマンスの維持に不可欠です(第33回)。

食事→睡眠: 就寝前の食事内容が睡眠の質を左右し、トリプトファンを含む食品がメラトニン合成を助けます(第35回)。

この六つの矢印が、三本柱の相互作用を構成しています。どれか一本が倒れると、残りの二本にも波及する。逆に、一本を立てると、他の二本も安定していく。第38回で書いた「動くから始める」というアプローチは、この循環のスイッチを入れるための戦略です。

ビジネスアスリートとは、この循環を意識的に回す人のことです。

私の「コンディショニング」。医師・クロスフィッター・ビジネスパーソンとして

少し、自分の話をさせてください。

私のある1日は、こんな感じです。

朝5時50分に起きます。Apple Watchの睡眠データを確認し、HRVと深い睡眠の割合をチェックします。数値が良ければ、その日はハードなトレーニングを入れる。回復が不十分なら、強度を落とすか、モビリティ(柔軟性)のワークに切り替える。前日のコンディションが翌日の計画を決めるのです。

朝食は、オートミールにプロテインパウダー、バナナ、ナッツ。トレーニングの2時間前には食べ終えるようにしています。

西麻布のジムでクロスフィットを始めて9年になりますが、最初の頃と今とでは、体との向き合い方がまったく違います。最初は「とにかく追い込む」だけでした。今は「追い込む日」と「回復する日」を計画的に分けています。まさにピリオダイゼーションの発想です。

夕食は、タンパク質を中心に据えます。鶏胸肉、魚、豆腐。就寝3時間前までには食べ終える。これは第35回で書いた、食事と睡眠の関係を自分で試した結果、最も体調が安定するパターンとして定着したものです。

就寝は22時30分を目標にしています。寝室にスマートフォンは持ち込みません。

こう書くと、ストイックに見えるかもしれません。でも実感としては、「制限している」というより「パフォーマンスを最適化している」という感覚です。好きなものを我慢しているのではなく、体が求めるものを選んでいるだけ。クロスフィットを9年続けた結果、体の解像度が上がり、何が自分のコンディションを良くし、何が悪くするかが、かなり正確にわかるようになりました。

これがビジネスアスリートの日常です。プロアスリートのように完璧である必要はありません。でも、「自分の体をコンディショニングしている」という意識があるかないかで、仕事のパフォーマンスは確実に変わります。

仕事に「コンディショニング」を導入する

では、ビジネスアスリートの第一歩として、何から始めればいいか。

第38回で提案した「動くから始める」フェーズを踏まえたうえで、三本柱が回り始めた後のコンディショニングの仕組み化を考えてみましょう。

ステップ1:自分のベースラインを知る

まず、現在の状態を把握します。ウェアラブルデバイスを2週間つけて、自分の平均HRV、安静時心拍数、睡眠スコアのベースラインを出す。このデータが、すべての判断の起点になります(第39回)。

ステップ2:週単位でデザインする

プロアスリートのピリオダイゼーションを、週単位に応用します。たとえば、月曜と木曜は高強度トレーニング、水曜はアクティブリカバリー(軽い散歩やストレッチ)、週末はどちらか1日をしっかり休む。重要なプレゼンや会議がある日は、前夜の睡眠を最優先し、前日のトレーニング強度は落とす。

ステップ3:食事をスケジュールに合わせる

トレーニング日はカロリーとタンパク質を多めに。休息日は少し控えめに。会食がある日は、昼食を軽くして調整する。完璧を目指す必要はありません。「意識している」だけで、食事の質は変わります。

ステップ4:振り返りの習慣をつくる

週末に5分だけ、その週のデータと体感を振り返ります。「今週はよく動けた。睡眠も安定していた。木曜の会議で集中力が高かったのは、前夜の睡眠が良かったからかもしれない」。こうした因果関係の仮説を持つことが、コンディショニングの精度を上げていきます。

大事なのは、「完璧なプロトコル」を作ることではなく、「体との対話」を仕組みとして生活に組み込むことです。

第3部に向けて。なぜ日本では広まらないのか

ここまで読んで、「良い話だけど、日本の会社で実践するのは難しい」と感じた方もいるかもしれません。

その感覚は正しい。そして、その「難しさ」の正体を探ることが、次の第3部のテーマです。

なぜ日本では、「体を鍛えるビジネスパーソン」が少数派なのか。なぜ「忙しいから運動できない」が通る文化なのか。なぜ睡眠を削ることが「勤勉さ」の証とされてきたのか。

第2部では「何をすればいいか」の科学を書きました。第3部では「なぜそれができないのか」の文化・心理・哲学を掘り下げます。

体を動かし、しっかり眠り、丁寧に食べる。科学的には、これが最適な生き方であることはもはや明らかです。それなのに、なぜ多くの人がそうしないのか。その答えは、科学の外側にあります。

ビジネスアスリートとして生きるということ

最後に、一つだけ。

「ビジネスアスリート」は、体を極限まで追い込む人ではありません。

自分の体を知り、体の声を聴き、体と協働する人です。

プロアスリートが試合で最高のパフォーマンスを出すために体をケアするように、ビジネスアスリートは仕事で最高の成果を出すために体をケアする。その方法論は、この第2部で書いてきたとおりです。

動く。眠る。食べる。この三つを、意図を持って回す。

それだけのことです。でも、それだけのことが、あなたの仕事と人生を変えます。

この章のポイント

  • プロアスリートのコンディショニングは運動・睡眠・栄養を「一つのシステム」として統合している。ビジネスパーソンにも同じ発想が必要
  • パフォーマンスの本質は「どれだけ長く働くか」ではなく「どれだけ質の高いエネルギーで働くか」。コンディショニングは贅沢ではなく投資
  • 三本柱は6つの矢印で相互作用する。運動→睡眠→食事→運動の循環を意識的に回すのがビジネスアスリート
  • 第一歩は自分のベースラインを知り、週単位でデザインし、食事を合わせ、振り返りの習慣をつくること

参考文献 [1] Bompa TO, Haff GG. Periodization: Theory and Methodology of Training. 6th ed. Human Kinetics. 2018. [2] Mah CD, et al. The effects of sleep extension on the athletic performance of collegiate basketball players. Sleep. 2011;34(7):943-950. [3] Schwartz T, McCarthy C. Manage your energy, not your time. Harv Bus Rev. 2007;85(10):63-73. [4] Coulson JC, et al. Exercising at work and self-reported work performance. Int J Workplace Health Manag. 2008;1(3):176-197. [5] Barnes CM, et al. Too tired to inspire or be inspired: sleep deprivation and charismatic leadership. J Appl Psychol. 2016;101(8):1191-1199. [6] Valls-Pedret C, et al. Mediterranean diet and age-related cognitive decline: a randomized clinical trial. JAMA Intern Med. 2015;175(7):1094-1103. [7] Henke RM, et al. Recent experience in health promotion at Johnson & Johnson: lower health spending, strong return on investment. Health Aff. 2011;30(3):490-499. [8] Baxter S, et al. A systematic review of the quantitative evidence about workplace wellness program components and their effects on employee health. J Occup Environ Med. 2014;56(9):927-934.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第40回です。 前回 → 第39回「自分の体との対話を始める」 次回から → 第3部「文化・心理・哲学」