病院で、一つのパターンを繰り返し見てきました。
動かなくなる → 体力が落ちる → 生活習慣が乱れる → 体調を崩す → 病院に来る → 入院する → さらに動けなくなる。
この連鎖は、一度始まると止めるのが本当に難しい。
入院が体を壊す逆説
入院すると、人は驚くほど早く弱くなります。
たった1週間のベッド上安静で、筋力は10〜15%低下します[1]。高齢者であればその影響はさらに大きく、2週間の入院で退院後に自立歩行ができなくなるケースも珍しくありません。
「病気を治すために入院したのに、入院したことで別の問題が生まれる」。これは医療現場の深刻なジレンマです。
もう少し具体的に数字を見てみましょう。
Kortebein らの研究(2007年)は、健康な高齢者に10日間のベッドレストを行い、その影響を定量的に測定しました[1]。結果は衝撃的です。
- 下肢の筋力:平均16%低下
- 脚の除脂肪量(筋肉量):約1.5kg減少
- 有酸素能力(VO2max):約12%低下
- 階段昇降能力:有意に低下
たった10日間です。しかも、これは「健康な」高齢者のデータです。病気で入院している患者さんなら、影響はさらに深刻です。
Covinsky らの大規模研究(2003年)は、70歳以上の入院患者の約35%が、入院中にADL(日常生活動作)の低下を経験することを報告しています[2]。入院前は自分で食事、着替え、入浴ができていた方が、退院時にはそれらが困難になる。病気は治ったのに、「生活する力」が失われてしまう。
この現象は「Hospitalization-Associated Disability(入院関連障害)」と呼ばれ、高齢者医療の最も深刻な課題の一つです。
サルコペニアとフレイル。静かに進行する筋肉の喪失
入院関連障害が深刻な問題になる背景には、「サルコペニア」と「フレイル」という二つの概念があります。
サルコペニアとは、加齢に伴う筋肉量と筋力の低下です。30代をピークに、何もしなければ年間約1%ずつ筋肉量は減少していきます[3]。40歳から80歳までに、平均して筋肉量の30〜40%が失われる計算です。
Cruz-Jentoft らの定義(2019年改訂)では、サルコペニアは「筋力の低下」を中核とし、「筋肉量の減少」「身体機能の低下」を伴う進行性の骨格筋疾患とされています[3]。日本のサルコペニアの有病率は、65歳以上の高齢者で約10〜15%と推定されています。
フレイル(虚弱)は、サルコペニアをさらに進行させた状態です。Friedのフレイル基準(2001年)によれば、以下の5項目のうち3つ以上に該当するとフレイルと判定されます[4]。
- 意図しない体重減少(年間4.5kg以上)
- 自己報告による疲労感
- 握力の低下
- 歩行速度の低下
- 身体活動量の低下
日本の高齢者の約8〜11%がフレイル、約40%がプレフレイル(フレイル前段階)に該当するとされています[5]。
重要なのは、フレイルは「老化の自然な帰結」ではないということです。適切な運動と栄養によって、フレイルは予防できるし、プレフレイルの段階であれば改善も可能です。
スパイラルの入口は地味なところにある
このスパイラルの入口は、実は地味なところにあります。
残業が続いて運動をやめた。膝が痛くて歩かなくなった。テレワークで一日中座りっぱなしになった。
きっかけは小さい。でも、動かない期間が長くなるほど、再び動き出すためのエネルギーが大きくなります。
これは「行動慣性(behavioral inertia)」と呼ばれる現象と関係しています。ニュートンの第一法則。「止まっている物体は止まり続けようとする」。が、人間の行動にも当てはまるのです。
運動を2週間休むと、再開するのが億劫になる。1ヶ月休むと、さらにハードルが上がる。3ヶ月休むと、もう「自分は運動しない人間だ」というアイデンティティが形成されてしまう。
筋力や心肺機能の面でも、デトレーニング(運動中止による体力低下)は想像以上に早く進行します。Mujika & Padillaのレビュー(2000年)によれば、有酸素能力は運動を中止して2〜4週間で有意に低下し始めます[6]。筋力はやや持続性がありますが、4〜8週間の不活動で明確な低下が見られます。
つまり、「ちょっと休もう」が「もう動けない」に変わるまでの時間は、多くの人が思っているよりずっと短いのです。
テレワーク時代の新たなリスク
コロナ禍を経て、テレワークが普及しました。通勤がなくなったことは、多くの人にとって「時間の余裕」をもたらしましたが、同時に「偶発的な身体活動」を奪いました。
通勤の歩行は、1日平均で約3,000〜5,000歩に相当します。駅の階段、オフィスまでの道のり、昼食に出かける動き。意識しなくても体を動かす機会が、通勤には組み込まれていました。
テレワークによってこれらが消え、1日の歩数が2,000歩を下回る人が増えています。厚生労働省の国民健康・栄養調査でも、2020年以降、成人の平均歩数が減少傾向にあることが報告されています[7]。
身体活動の減少は、筋力低下だけでなく、代謝の悪化、体重増加、メンタルヘルスの悪化と連動します。「座りすぎ(Sedentary Behavior)」は、WHOが「21世紀最大の公衆衛生上の課題の一つ」と位置づけるほど深刻な問題です[8]。
中年期の不活動が高齢期の要介護リスクを決める
医師としてはっきり言えることがあります。
この連鎖は、入口で止めるのが最も効果的です。中間で止めるのは難しい。出口で止めるのはもっと難しい。
「動かなくなった時」が、最も重要な介入ポイントです。
なぜなら、中年期の身体活動レベルが、高齢期の要介護リスクを大きく左右するからです。
日本の大規模コホート研究(JAGES:日本老年学的評価研究)のデータは、中年期に運動習慣があった人は、なかった人と比べて、高齢期の要介護認定リスクが有意に低いことを示しています[9]。
また、筋肉量の貯蓄。いわば「筋肉の貯金」。は、40代・50代のうちに積み立てておく必要があります。70代になってから筋トレを始めても、もちろん効果はあります。しかし、50代から継続的に筋力を維持してきた人と、70代で初めて始める人とでは、到達できるレベルに大きな差があります。
これを「マッスル・バンキング」と呼ぶ研究者もいます。若いうちに筋肉量のピークを高くしておけば、加齢による減少があっても、閾値(自立生活に必要な筋力レベル)を下回るまでの時間が長くなる。つまり、「健康寿命」を延ばせるのです。
入口で断ち切る方法
体が動くうちに動く。痛みが軽いうちに対処する。生活習慣が乱れ始めたら、まず「動く」を戻す。
この連載の序章で書いた通り、私がここで語っているのは「壊れる前の話」です。
壊れてからでは遅い、とは言いません。いつからでもやり直せます。でも、今動ける体があるなら、それを維持するほうがずっと楽です。
具体的に「入口で断ち切る」ための実践的なアプローチをいくつか挙げます。
「動かない日」を意識的にゼロにする
完全な休養日をなくす、という意味ではありません。ハードなトレーニングをする日と、軽く歩くだけの日があっていい。大事なのは、「今日は何も動かなかった」という日を作らないことです。10分の散歩でもいい。5分のストレッチでもいい。「動いた」という事実が、行動慣性を保ちます。
「仕組み」で動く
意志力に頼ると、動かない日が増えたときに復帰が難しくなります。曜日と時間を決める。ジムのグループクラスを予約する。友人と一緒に運動する約束をする。「仕組み」で動く環境を作ることが、スパイラルの入口をブロックします。
不調のサインを見逃さない
「最近、階段を上ると息切れする」「以前より疲れやすい」「座っていると腰が痛い」。こうした小さなサインは、スパイラルの入口に立っているという警告です。サインに気づいたら、まず「動く量を増やす」ことを考える。それだけで、多くの場合、連鎖を断ち切れます。
動かなくなる連鎖は、入口で断ち切れます。
「動かなくなった時」が、最も重要な介入ポイントです。
この章のポイント
- 健康な高齢者でも10日間のベッドレストで下肢筋力16%・有酸素能力12%が低下する
- 中年期の運動習慣の有無が、高齢期の要介護リスクを大きく左右する(マッスル・バンキング)
- 運動を2〜4週間休むと有酸素能力が低下し始める。「ちょっと休もう」が「もう動けない」に変わるのは早い
- 入口で断ち切るには「動かない日をゼロに」「仕組みで動く」「不調のサインを見逃さない」の3点
参考文献 [1] Kortebein P, et al. Effect of 10 days of bed rest on skeletal muscle in healthy older adults. JAMA. 2007;297(16):1772-1774. [2] Covinsky KE, et al. Loss of independence in activities of daily living in older adults hospitalized with medical illnesses. J Am Geriatr Soc. 2003;51(4):451-458. [3] Cruz-Jentoft AJ, et al. Sarcopenia: revised European consensus on definition and diagnosis. Age Ageing. 2019;48(1):16-31. [4] Fried LP, et al. Frailty in older adults: evidence for a phenotype. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2001;56(3):M146-M156. [5] 荒井秀典. 日本におけるフレイルの現状と課題. 日本老年医学会雑誌. 2020;57(1):7-13. [6] Mujika I, Padilla S. Detraining: loss of training-induced physiological and performance adaptations. Sports Med. 2000;30(3):145-167. [7] 厚生労働省. 国民健康・栄養調査. 2022. [8] World Health Organization. WHO guidelines on physical activity and sedentary behaviour. 2020. [9] 近藤克則ら. JAGES(日本老年学的評価研究):健康長寿社会をめざして. 2018.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第21回です。 前回 → 第20回「壊れない体を作るという発想」