痛い → 休む → 弱くなる → もっと痛い。
病院にいると、この負のサイクルを何度も見ます。
繰り返される光景
典型的なパターンがあります。
腰痛で来院する40代の会社員。デスクワークで運動はほぼゼロ。痛み止めを処方して、「安静にしてください」と伝える。
2週間後、また来る。「少し楽になったけど、また痛くなりました」。
同じ処方を出す。同じアドバイスをする。そしてまた2週間後に来る。
この方だけの話ではありません。整形外科の外来には、同じ訴えで何年も通い続けている患者さんが少なくありません。カルテを遡ると、3年前も5年前も同じ主訴。「腰痛」。処方されているのも同じ。ロキソプロフェンとモーラステープ。
医師として、この構図に無力感を感じることがあります。痛みは取れる。でも、痛みの「原因」には何も手を打てていない。
「安静」の功罪
ここに構造的な問題があります。
「安静にする」は、急性期には正しい対応です。炎症が起きている間は、安静にして回復を待つのが原則です。ぎっくり腰の直後や、捻挫の初期には、過度な負荷をかけないことが回復の前提条件です。
でも、慢性の痛みに「安静」は逆効果になり得ます。動かないと筋力が落ちる。筋力が落ちると関節への負担が増える。負担が増えると痛みが出る。痛いからまた動かない。
このループは、入口で止めなければどんどん深くなります。
実は、このことは医学の世界ではすでに常識になりつつあります。かつて腰痛に対しては「ベッドレスト(安静臥床)」が標準的な治療でした。しかし1990年代後半から2000年代にかけて、複数の大規模研究が「安静は慢性腰痛を悪化させる」ことを示しました。
Deyo らの研究(1986年)は、急性腰痛に対する2日間の安静と7日間の安静を比較し、短い安静のほうが回復が早いことを実証した画期的な論文です[1]。それ以降、「必要最小限の安静」が原則となりました。
しかし、臨床の現場では、この知見がまだ十分に浸透していません。「腰が痛いなら安静に」というアドバイスは、今も日常的に行われています。
ガイドラインは何を推奨しているか
現代の疼痛研究では、慢性腰痛に対する最も効果的な介入の一つが「運動療法」であることが示されています[2]。安静ではなく、適切に動くことが回復を早める。
Haydenらのコクランレビュー(2021年)は、慢性腰痛に対する運動療法の有効性を包括的に分析しました。結果は明確で、運動療法は疼痛と機能障害の両方を有意に改善します。効果の大きさは「中程度」ですが、これは薬物療法やマニュアルセラピー(手技療法)と同等かそれ以上です[2]。
さらに重要な点があります。運動療法には「副作用」がほとんどないということです。NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)は胃腸障害のリスクがあり、オピオイド系鎮痛薬には依存性のリスクがある。長期的に使い続けることの安全性には限界があります。一方、適切に設計された運動プログラムには、そうしたリスクがほぼありません。
各国のガイドラインも、この方向に収束しています。
- 英国NICE(国立医療技術評価機構)のガイドライン(2016年改訂)は、慢性腰痛に対する第一選択として運動療法を推奨しています[3]。
- アメリカ内科学会(ACP)の臨床ガイドライン(2017年)は、慢性腰痛に対してまず非薬物療法(運動、マルチディシプリナリーリハビリ、太極拳、ヨガなど)を試すべきとしています[4]。
- 日本整形外科学会と日本腰痛学会の「腰痛診療ガイドライン2019」も、慢性腰痛に対する運動療法をGrade Aで推奨しています[5]。
つまり、世界中の専門機関が「慢性腰痛には安静ではなく運動を」と言っている。
なぜループから抜け出せないのか
ガイドラインでも、慢性腰痛に対しては「活動的でいること」が推奨されています[3]。痛みがあっても、できる範囲で動く。動くことで筋力を維持し、痛みの悪循環を断ち切る。
にもかかわらず、多くの人がこのループから抜け出せないのはなぜでしょうか。
いくつかの理由が考えられます。
- 痛みへの恐怖(Fear-Avoidance)
慢性痛の研究で最も重要な概念の一つが「Fear-Avoidance Model(恐怖回避モデル)」です[6]。痛みを経験すると、「また痛くなるのではないか」という恐怖が生まれる。恐怖があるから動かない。動かないから体が弱くなる。弱くなるから余計に痛くなる。
このモデルが示しているのは、慢性痛のループを維持しているのは「痛みそのもの」だけでなく、「痛みに対する認知的・感情的反応」だということです。
Vlaeyen & Lintonの研究(2000年)は、痛みへの恐怖が高い患者ほど、活動レベルが低下し、痛みが慢性化しやすいことを示しました[6]。痛みの強さよりも、痛みに対する「考え方」のほうが、予後を予測する上で重要なのです。
- 医療システムの構造
日本の医療制度は、「治療」に対しては手厚い保険給付がありますが、「予防」に対してはカバーが薄い。痛み止めの処方には保険が使えますが、「痛みが出ないように体を鍛える運動指導」には保険がほとんど適用されません。
結果として、患者にとっても医療者にとっても、「薬を出す」ほうが「運動を指導する」よりもシステム的に合理的になってしまう。これは個人の怠慢ではなく、制度設計の問題です。
- 時間軸の違い
痛み止めは30分で効きます。運動療法の効果が現れるのは、早くても4〜6週間後です。人間は短期的な報酬に引きずられやすいので、「今すぐ楽になる方法」を選びがちです。
しかし、1年後を見れば、運動療法のほうが圧倒的に結果がよい。Haydenらのレビューでも、運動療法の効果は時間の経過とともに安定し、長期的な改善をもたらすことが示されています[2]。
「臓器は治せるが、動ける体は本人が守るしかない」
医師として感じるのは、「臓器は治せるが、動ける体は本人が守るしかない」ということです。
手術はできます。薬は出せます。でも、日常的に体を動かし、筋力を維持し、柔軟性を保つ。これは、本人にしかできないことです。
実はこれは、医学教育の課題でもあります。医学部のカリキュラムでは、「運動処方」や「身体活動の指導法」を体系的に学ぶ機会が非常に少ない。病態生理学、薬理学、外科手技は徹底的に叩き込まれますが、「患者さんにどんな運動を、どれくらいの強度で、どれくらいの頻度で勧めるべきか」を学ぶ時間はほとんどありません。
これは日本だけの問題ではありません。2015年の調査では、英国の医学部の86%が、運動医学に関する教育時間が「不十分」だと回答しています[7]。医師自身が運動処方のスキルを持っていなければ、患者に対して「運動しましょう」以上の具体的な指導はできません。
対症療法のループから抜け出す鍵は、「動く」という能動的な選択にあります。
でも、その選択を後押しする仕組み。運動処方を出せる医師、指導できる専門家、保険でカバーされる運動プログラム。が、今の日本にはまだ十分に整っていません。
ループを断ち切る最初の一歩
では、個人として何ができるのか。
まず、「痛みがあるから動けない」という思い込みを手放すことです。もちろん、急性の強い痛みには安静が必要です。しかし、慢性的な「なんとなく痛い」状態であれば、動ける範囲で動くほうが回復は早い。
具体的には、以下のステップが参考になります。
- まずは歩く。1日15分から始める。
- 痛みが許容範囲内であれば、少しずつ負荷を上げる。
- 体幹(コア)の安定性を高める簡単なエクササイズを加える。
- 専門家(理学療法士、運動指導の資格を持つトレーナー)に相談する。
「正しく動くこと」が、対症療法のループを断ち切る最初の一歩です。
臓器は治せるが、動ける体は本人が守るしかない。
この章のポイント
- 「痛い→休む→弱くなる→もっと痛い」のループ。慢性痛に「安静」は逆効果
- 世界中のガイドライン(NICE/ACP/日本整形外科学会)は慢性腰痛に運動療法を第一推奨
- Fear-Avoidance Model:痛みへの「恐怖」が活動低下を生み、慢性化を維持する
- 日本の医療制度は薬の処方には保険、運動指導にはほぼ非カバー。制度設計の問題
参考文献 [1] Deyo RA, Diehl AK, Rosenthal M. How many days of bed rest for acute low back pain? N Engl J Med. 1986;315(17):1064-1070. [2] Hayden JA, et al. Exercise therapy for chronic low back pain. Cochrane Database Syst Rev. 2021;9:CD009790. [3] National Institute for Health and Care Excellence (NICE). Low back pain and sciatica in over 16s: assessment and management. NICE guideline NG59. 2016. [4] Qaseem A, et al. Noninvasive treatments for acute, subacute, and chronic low back pain. Ann Intern Med. 2017;166(7):514-530. [5] 日本整形外科学会, 日本腰痛学会. 腰痛診療ガイドライン2019(改訂第2版). 南江堂; 2019. [6] Vlaeyen JW, Linton SJ. Fear-avoidance and its consequences in chronic musculoskeletal pain: a state of the art. Pain. 2000;85(3):317-332. [7] Weiler R, et al. Physical activity education in the undergraduate curricula of all UK medical schools. Br J Sports Med. 2012;46(14):1024-1026.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第19回です。 前回 → 第18回「整骨院5万軒、コンビニ並み」