隣の国は、すでに変わっています。韓国のフィットネス参加率は日本を上回り、特にソウルでは至るところにジムがある。24時間営業のジムが一般的で、会社帰りにトレーニングする文化が定着しつつあります。
韓国のフィットネス市場は2010年代後半から急成長し、2023年時点で約4兆ウォン(約4,400億円)規模に達しています[1]。人口約5,100万人の国で、フィットネスクラブの会員率は約7.5%。日本の4〜5%を大きく上回ります。 しかも、この数字にはピラティス、ヨガ、クロスフィットといったブティック型フィットネスの利用者は含まれていないため、実際の「運動する人」の割合はさらに高いと推定されます。
急成長の背景。三つの「スイッチ」
韓国のフィットネス文化が急成長した背景には、いくつかの要因があります。
1. 美容文化との接続
まず、美容文化との接続です。韓国では外見を整えることへの意識が高く、「美容の延長線上」としてのフィットネスが受け入れられやすかった。筋トレは「ムキムキになるため」ではなく、「見た目をよくするため」として浸透しました。
韓国は世界有数の美容大国です。一人あたりの化粧品消費額は世界トップクラスであり、美容整形への抵抗感も比較的低い文化です[2]。この「外見を整えることは自己投資である」という価値観が、自然とフィットネスにも接続されました。
注目すべきは、この流れが特に女性のフィットネス参加を後押ししたことです。日本では「筋トレ=男性的」というイメージが根強いですが、韓国では「ピラティスやヨガで体のラインを整える」ことが若い女性の間で一般的になっています。ソウルの江南(カンナム)エリアには、ピラティススタジオが密集しており、美容院やネイルサロンと同じ感覚で利用されています。
2. K-POPの影響
次に、K-POPの影響です。BTSやBLACKPINKのメンバーが鍛えられた体を見せることで、若い世代に「鍛える=カッコいい」というイメージが広まりました。文化的アイコンが運動を肯定したのです。
BTSのジョングクがトレーニング動画を公開し、それが数億回再生される。BLACKPINKのジェニーがピラティスの様子をInstagramに投稿し、「ジェニーボディ」を目指す若い女性が急増する。こうした現象は、マーケティングの「インフルエンサー効果」を超えた、文化的な価値観の変容です[3]。
社会学者のピエール・ブルデューが指摘したように、身体は「文化資本」の一つです[4]。韓国では、鍛えられた体が「知的で、自己管理ができ、成功している」ことのシグナルとして機能し始めています。この文化コードの変化が、フィットネス市場の急拡大を支えました。
3. 軍隊経験。身体訓練のベースライン
そして、軍隊経験。韓国の男性は兵役があり、約18〜21ヶ月間の軍事訓練を経験します。この期間、毎朝の体力トレーニング、ランニング、筋力訓練が日課となります。
この経験が、退役後も運動を続けるベースラインになっています。「体を動かす習慣」が一度身につくと、それを維持するハードルは格段に下がります。行動科学では、これを「デフォルト効果」と呼びます。一度設定されたデフォルト(初期設定)は、変更するよりも維持するほうが容易です[5]。
興味深いのは、韓国の兵役が「やらされる運動」であるにもかかわらず、退役後の運動継続率が比較的高いことです。前回の記事で書いた日本の部活との違いは何か。一つの仮説は、「期間の短さ」と「目的の明確さ」です。18ヶ月という限定された期間で、「国を守る体力を作る」という明確な目的がある。部活の10年間の「何のためかわからない努力」とは、心理的な受容のされ方が異なるのかもしれません。
韓国フィットネスの「今」
韓国のフィットネスシーンは、さらに多様化しています。
クロスフィットの急拡大: 韓国は東アジアで最もクロスフィットが普及している国の一つです。ソウルだけで100以上のクロスフィットボックスがあり、全国では300を超えるとされています。Netflixの「Physical 100」(第53回で詳しく書きます)がクロスフィット人口をさらに押し上げました。
24時間ジムの一般化: 「エニタイムフィットネス」型の24時間無人ジムが都市部を中心に急増し、深夜や早朝のトレーニングが日常化しています。韓国の長時間労働文化(OECDの中でも上位の労働時間)の中で、「空いている時間にいつでも行ける」という柔軟性が受け入れられました。
「ヘルシー」のリブランディング: かつての韓国の健康イメージは「漢方」「サウナ」「伝統医学」が中心でした。しかし2010年代以降、「フィットネス」「プロテイン」「サプリメント」がそれに加わり、「健康=アクティブに体を動かすこと」というイメージが定着しつつあります。韓国のプロテイン市場は2018年から2023年の5年間で約3倍に成長しました[6]。
日本に「スイッチ」は入るのか
日本にはこうした「スイッチ」がまだ入っていません。
でも、変化の兆しはあります。最近、インスタグラムでwellnessサークルやrunning clubが増え始めています。「朝活ラン」のコミュニティ。ヨガの無料クラス。企業の健康部活動。
社会学者のエベレット・ロジャーズが提唱した「イノベーション普及理論」によれば、新しい行動の普及は「イノベーター」(2.5%)→「アーリーアダプター」(13.5%)→「アーリーマジョリティ」(34%)の順に進みます[7]。
日本のフィットネス参加率4〜5%は、まさに「アーリーアダプター」が動き始めた段階です。 ここから「アーリーマジョリティ」に広がるかどうかが、韓国のような変革が起きるかどうかの分かれ目になります。
韓国の事例が教えてくれるのは、文化の変化には「正しい接続点」が必要だということです。韓国では「美容」「K-POP」「軍隊」という既存の文化的インフラにフィットネスが接続されたことで、爆発的に広がりました。
日本にとっての「接続点」は何でしょうか。働き方改革による朝活文化。メンタルヘルスへの関心の高まり。コロナ後のウェルネス意識。あるいは、韓国文化そのものへの親和性。K-POPやK-ドラマを通じた韓国のライフスタイルへの憧れが、日本の若い世代のフィットネス参加を後押しする可能性もあります。
文化は、一人の「やってみようか」から変わります。韓国も、最初から今の状態だったわけではありません。
きっかけは、いつもシンプル
日本のフィットネス文化が変わるきっかけは何か。
私は、この連載がそのきっかけの一つになれたらいいと思っています。
でも、もっと大きな流れは、すでに始まっているのかもしれません。2024年の日本のフィットネス市場は過去最高を更新し、特にブティック型フィットネス(パーソナルジム、ピラティス、クロスフィット)が牽引役になっています。「大箱のジムに通って一人でマシンをやる」という旧来のモデルから、「コミュニティベースで、体験型の、少人数制のフィットネス」へのシフトが、日本版フィットネス革命の形なのかもしれません。
隣の国は、もう変わりました。次は、この国の番です。
この章のポイント
- 韓国のフィットネス市場は約4兆ウォン規模、会員率7.5%で日本の4〜5%を大きく上回る
- 「美容」「K-POP」「軍隊」という三つの文化的接続点がフィットネスを爆発的に普及させた
- 日本のフィットネス参加率はアーリーアダプターが動き始めた段階。次の臨界点はすぐそこにある
- 日本版フィットネス革命の形は、ブティック型・コミュニティベース・体験型へのシフトとして既に始まっている
参考文献 [1] Korea Health Industry Development Institute. Fitness Industry Report 2023. [2] Statista. Beauty & Personal Care market in South Korea. 2023. [3] Jin SV, Muqaddam A. Product placement 2.0: Do brands need influencers, or do influencers need brands? J Brand Manag. 2019;26:522-537. [4] Bourdieu P. Distinction: A Social Critique of the Judgement of Taste. Harvard University Press, 1984. [5] Thaler RH, Sunstein CR. Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness. Yale University Press, 2008. [6] Korea Agro-Fisheries & Food Trade Corporation. Protein Supplement Market Trends. 2023. [7] Rogers EM. Diffusion of Innovations. 5th ed. Free Press, 2003.
この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第44回です。 前回 → 第43回「部活で終わる国」