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SNS時代の「比較」から降りる

Instagram、X(Twitter)、TikTok。これらのプラットフォームで「幸せそうな人」を見て、自分の人生が色あせて感じたことはありませんか。

SNSが暴走させた「比較エンジン」

社会的比較は人間の基本的な心理メカニズムです。でも、SNSはこのメカニズムを暴走させました。

かつて、比較の対象は身近な人だけでした。同僚、友人、近所の人。せいぜい数十人。

今は、世界中の「最も輝いている瞬間」が、無限にスクロールされてきます。しかも、その多くは編集され、フィルターがかかり、最も良い角度から切り取られた「作品」です。

この非対称な比較が、自己評価を歪めます[1]。

数字を見ると、問題の大きさが浮かび上がります。総務省の調査によれば、日本人のSNS利用率は約80%を超え、平均利用時間は1日約70分です[2]。アメリカでは、18〜29歳の約95%がSNSを利用し、1日の平均スクリーンタイムは7時間を超えています[3]。

つまり、私たちは1日の中で何度も「比較エンジン」にアクセスしているのです。

英国王立公衆衛生協会(RSPH)が2017年に発表した報告書『#StatusOfMind』は、14〜24歳の若者を対象に、SNSがメンタルヘルスに与える影響を調査しました[4]。その結果、Instagramが「最もメンタルヘルスに悪影響を与えるSNS」と評価されました。理由は「社会的比較」と「ボディイメージへの悪影響」。美しく加工された写真を見続けることで、自分の外見への不満が増幅されるのです。

ケンブリッジ大学の研究(2022年)は、さらに踏み込んだ知見を提供しています。SNSの受動的利用(スクロールして眺めるだけ)は能動的利用(投稿やコメントをする)と比べて、孤独感と抑うつの増加により強く関連していました[5]。つまり、「見ているだけ」が最もメンタルに悪い。 多くの人がやっているのは、まさにこの「受動的な比較」です。

運動には「嘘がない」

運動は、この歪みを修正してくれます。

なぜか。運動には「嘘がない」からです。

SNSでは見せたい自分を演出できます。でも、バーベルの前では演出できません。上がるか上がらないか。走れるか走れないか。自分の体だけが正直に答えを返してくれます。

心理学では、これを「真正性(authenticity)」と呼びます。真正性とは、自分が本来の自分であるという感覚です。研究によれば、真正性の感覚が高い人ほど、主観的幸福感が高く、不安や抑うつが低いことがわかっています[6]。

SNSで見せる「キュレートされた自分」と、実際の自分のギャップが大きいほど、真正性は低下します。しかし、運動中の自分には嘘がつけません。息が上がる。筋肉が悲鳴を上げる。汗が流れる。これほど「リアルな自分」と向き合う時間は、日常にそう多くありません。

この「嘘のないフィードバック」が、自分軸を取り戻す手助けをします。

フロー。「比較する脳」を止める

もう一つ、運動が比較から降りる手助けになる理由があります。

フロー状態です[7]。

チクセントミハイが1990年に提唱した「フロー」とは、活動に完全に没入し、時間の感覚が消え、自意識が薄れる状態です。フロー状態では、脳のデフォルトモードネットワーク(DMN)。普段、自己参照的な思考(「自分はどう見られているだろう」「あの人と比べて自分は」)を司る領域。の活動が低下します[8]。

運動中。特に、ちょっときつめの運動中。は、他のことを考える余裕がなくなります。目の前のバーベル、次の一歩、あと10秒。雑念が消え、「今ここ」に集中する。

この状態はマインドフルネスと同じ効果を持ちます。SNSの情報過多から一時的に離脱し、自分の体と向き合う時間。

興味深いのは、運動の種類によってフロー状態の入りやすさが異なることです。クロスフィットのような高強度インターバルトレーニングや、ロッククライミング、サーフィンなど、「失敗のリスク」がある活動は特にフロー状態を誘発しやすいとされています[9]。なぜなら、集中しなければ怪我をしたり、重りを落としたりするからです。脳が「比較している場合ではない」と判断し、全リソースを目の前のタスクに集中させるのです。

一方、ランニングマシンで一定速度で走り続けるような単調な運動では、フロー状態に入りにくく、頭が「SNSで見たあの人の投稿」を反芻してしまうこともあります。「比較から降りる」ことが目的であれば、ある程度の認知的負荷がある運動を選ぶのが効果的かもしれません。

「デジタルデトックス」としての運動

近年、「デジタルデトックス」という概念が注目されています。しかし、「SNSを使わないようにしよう」と決意するだけでは、ほとんどの人は失敗します。SNSのアプリは、行動心理学を駆使して「やめにくい」ように設計されているからです[10]。

運動は、意志力に頼らないデジタルデトックスの手段になります。

ジムにいる間、スマートフォンは見られません(汗で画面が見えない、そもそもポケットに入れられない)。ランニング中も同じです。物理的にSNSから離れる時間が、強制的に生まれます。

しかも、運動後はSNSへの欲求自体が減少するという研究もあります。運動によってドーパミンの受容体が調整され、「安価なドーパミン」(スクロールによる刺激)への依存が低下する可能性があるのです[11]。

「降りる」のではなく「切り替える」

「比較をやめよう」と意志の力で決めるのは難しい。でも、体を動かしている間は、自動的に比較が止まります。

「降りる」のではなく、「別のチャンネルに切り替える」感覚です。

私自身、クロスフィットを始めてから、SNSとの付き合い方が変わりました。以前は無意識にスクロールしていた時間が、今は「今日のワークアウトの記録を見返す」時間に変わっています。他人の投稿を消費する時間が、自分の成長を確認する時間に置き換わったのです。

社会心理学者のティモシー・ウィルソンは、「意志の力で思考を変えるのは難しいが、行動を変えることで思考は変わる」と述べています[12]。「比較をやめよう」と思考を変えようとするより、「体を動かす」という行動を入れることで、思考のパターンが自然に変わる。これが、運動が「比較から降りる」最も実践的な方法である理由です。

スマートフォンの画面の中には、あなたより「上」に見える人が無限にいます。でも、バーベルの前には、昨日よりも少しだけ強くなった自分がいます。

どちらを見るかは、自分で選べます。

この章のポイント

  • SNSは「比較エンジン」を暴走させ、特に受動的なスクロールが孤独感と抑うつを増幅させる
  • 運動には「嘘がない」。真正性のある自分との対話が自己肯定感を取り戻させる
  • 高強度運動はフロー状態を誘発し、デフォルトモードネットワークの自己参照思考を低下させる
  • 比較を「やめよう」と意志するのではなく、運動という行動で自動的にチャンネルを切り替える

参考文献 [1] Appel H, et al. The interplay between Facebook use, social comparison, envy, and depression. Curr Opin Psychol. 2016;9:44-49. [2] 総務省. 令和4年版情報通信白書. 2022. [3] Pew Research Center. Social Media Use in 2024. 2024. [4] Royal Society for Public Health. #StatusOfMind: Social media and young people's mental health. 2017. [5] Verduyn P, et al. Do social network sites enhance or undermine subjective well-being? A critical review. Soc Issues Policy Rev. 2017;11(1):274-302. [6] Wood AM, et al. The authentic personality: A theoretical and empirical conceptualization and the development of the Authenticity Scale. J Couns Psychol. 2008;55(3):385-399. [7] Csikszentmihalyi M. Flow: The Psychology of Optimal Experience. Harper & Row, 1990. [8] Ulrich M, et al. Neural correlates of experimentally induced flow experiences. NeuroImage. 2014;86:194-202. [9] Jackson SA, Csikszentmihalyi M. Flow in Sports. Human Kinetics, 1999. [10] Alter A. Irresistible: The Rise of Addictive Technology and the Business of Keeping Us Hooked. Penguin, 2017. [11] Robertson CL, et al. Effect of exercise on dopamine D2/D3 receptor availability. Psychopharmacology. 2016;233(7):1379-1388. [12] Wilson TD. Redirect: Changing the Stories We Live By. Little, Brown, 2011.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第47回です。 前回 → 第46回「バーベルは批判しない」