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運動習慣で医療費5〜7万円/人が消える

ここまで、運動が生産性、メンタルヘルス、慢性痛に与える効果を書いてきました。

今日は、もう少しマクロな視点で見てみます。お金の話です。


一人あたり5〜7万円の差

笹川スポーツ財団の試算によると、運動習慣がある人は、ない人と比べて年間の医療費が約5〜7万円低いとされています[1]。

一人あたり5〜7万円。大きな数字には見えないかもしれません。

でも、日本の成人人口は約1億人です。仮にそのうち10%が新たに運動習慣を持ったとしたら、1,000万人 × 5万円 = 年間5,000億円の医療費が削減できる計算になります。

この数字は、笹川スポーツ財団だけが言っているわけではありません。複数の研究が同様の結果を示しています。

厚生労働省の「健康日本21(第二次)」の中間評価でも、身体活動量が多い群は少ない群と比較して、医療費が有意に低いことが確認されています[2]。新潟県の国保データを用いた分析では、運動習慣がある被保険者とない被保険者の年間医療費の差は約5万3,000円でした[3]。

海外の研究でも整合的な結果が出ています。Andersonらの米国における分析(2005年)では、身体的に活動的な成人は非活動的な成人と比べて、年間医療費が約1,313ドル(約15万円)低いことが示されています[4]。日本の5〜7万円という数字は、むしろ控えめな見積もりかもしれません。


自治体の実証事例

第10回で紹介した白井市の事例を思い出してください。市職員の健康増進プログラムで、年間約3,360万円の医療費削減。これは一つの自治体の、一つのプログラムの効果です。

白井市だけではありません。全国各地の自治体が、運動を通じた医療費適正化に取り組んでいます。

静岡県の「ふじ33プログラム」は、1日に3つの運動を3ヶ月続けるという簡易な健康増進プログラムです。参加者の追跡調査では、プログラム参加群は非参加群と比べて医療費の伸び率が抑制されたことが報告されています[5]。

長野県は、かつて脳卒中の死亡率がワースト1だった時代がありました。1960年代から減塩運動と身体活動の推進を組み合わせた保健活動を展開し、現在は平均寿命が全国トップクラス、一人あたりの医療費は全国平均を大きく下回っています[6]。長野モデルは「予防が医療費を下げる」ことを実証した先駆的事例として、国際的にも注目されています。

大分県竹田市では、高齢者向けの「いきいき百歳体操」(手首や足首に重りをつけて行う簡単な筋力トレーニング)を地域ぐるみで展開し、介護予防と医療費抑制の両方に効果を上げています。この体操は高知市が発祥で、全国1,000以上の市区町村に広がっています[7]。


企業が動き出した理由

企業レベルでも同様のデータが蓄積されています。健康経営優良法人に認定された企業では、一人あたりの医療費が非認定企業より低い傾向が報告されています[8]。

経済産業省の分析によれば、健康経営度調査の上位20%の企業は、それ以外の企業と比べて一人あたり年間医療費が約3万円低い傾向にあります。従業員1,000人の企業であれば、年間3,000万円の差です。

なぜ企業が健康経営に本気で取り組み始めたのか。理由はシンプルです。「従業員の不健康」は、想像以上にコストがかかるからです。

東京大学の研究グループは、日本企業における健康関連コストの構造を分析しました[9]。その結果、企業が負担する健康関連コストのうち、最も大きいのは「プレゼンティーズム」(体調不良のまま出勤し、生産性が低下すること)で、全体の約60%を占めていました。次いで「アブセンティーズム」(欠勤)が約20%、「医療費」が約20%。

つまり、企業にとって最大の健康コストは「医療費」ではなく、「生産性の低下」なのです。運動習慣がある従業員は、プレゼンティーズムが少ない。だから、ジムの法人契約や運動プログラムへの投資は、医療費削減以上のリターンをもたらす可能性がある。


福利厚生としての筋トレ

ここで思い出すのは、福祉施設が福利厚生として筋トレを導入している事例です。

介護の現場は体力勝負です。腰痛で離職する職員は少なくありません。だから福利厚生として、施設内にトレーニング設備を置き、就業前や後に使えるようにしている。

職員の腰痛が減れば、離職率が下がる。離職率が下がれば、採用コストが下がる。結果として、「筋トレへの投資」が経営的にリターンを生む。

これは、まさに「健康は投資である」を体現する事例です。

介護業界に限らず、「身体を使う仕事」での運動介入の効果は明確です。Steffensらのメタ分析(2016年)は、職場での運動介入が腰痛の発症リスクを約33%低減することを示しました[10]。建設業、運輸業、医療・介護業など、身体的負荷の高い業種では、運動プログラムの導入による労災の減少と離職率の低下が報告されています。

最近では、IT企業やデスクワーク中心の企業でも、オフィス内にジムスペースを設けたり、トレーニング手当を支給したりする動きが広がっています。一見すると「意識の高い企業の福利厚生」に見えますが、数字で見れば合理的な経営判断です。


日本全体の医療費の構造

ここで、日本の医療費全体を俯瞰してみましょう。

2021年度の国民医療費は約44兆2,000億円です[11]。この数字は年々増加しており、2000年度の約30兆円から20年で約14兆円増えています。高齢化の進行と医療技術の高度化が主な要因です。

国民一人あたりの年間医療費は約35万円。65歳以上に限ると約75万円、75歳以上では約93万円に跳ね上がります[11]。

この膨大な医療費のうち、「予防可能な疾患」にかかるコストがどれくらいあるのか。正確な算出は難しいですが、生活習慣病(糖尿病、高血圧、脂質異常症など)だけで約15兆円と推計されています。この話は次回、もう少し詳しく掘り下げます。

重要なのは、医療費の増加が社会保障全体に与える圧力です。現役世代の保険料負担は年々増加し、企業の社会保険料負担も経営を圧迫しています。「運動で医療費を減らす」という話は、個人の節約術ではなく、社会保障制度の持続可能性に関わるテーマなのです。


個人の経済学

個人にとっても同じことが言えます。

月に1万円のジム代を「コスト」と見るか、年間5〜7万円の医療費削減と、仕事のパフォーマンス向上を生む「投資」と見るか。

もう少し細かく計算してみましょう。

ジム代:月額1万円 × 12ヶ月 = 年間12万円 医療費の削減:年間5〜7万円 生産性向上の経済的価値:年間の生産性が5%向上すれば、年収500万円の人で25万円分の価値

単純に足し算すると、12万円の投資に対して30万円以上のリターンです。ROIは150%を超えます。

もちろん、これは概算です。人によって効果は異なります。でも、「ジム代はもったいない」と感じている人に伝えたいのは、数字で見ると「ジム代を払わないほうがもったいない」可能性が高い、ということです。

ジムに行かなくても運動はできます。公園でのランニング、自宅での自重トレーニング、YouTubeの無料エクササイズ動画。コストゼロでも始められる。

数字で見ると、答えは明らかです。

「ジム代はもったいない」と感じている人に伝えたいのは、数字で見ると「ジム代を払わないほうがもったいない」可能性が高い、ということです。

この章のポイント

  • 運動習慣のある人は、ない人より年間医療費が約5〜7万円低い
  • 企業の健康関連コスト最大項目は医療費でなくプレゼンティーズム(約60%)
  • 白井市・長野県・大分県竹田市など自治体レベルで運動による医療費抑制の実証例が多数
  • 個人レベルでもジム代年12万円に対し、医療費削減+生産性向上で30万円超のリターン試算

参考文献 [1] 笹川スポーツ財団. 運動・スポーツ習慣と医療費に関する調査研究. 2020. [2] 厚生労働省. 健康日本21(第二次)中間評価報告書. 2018. [3] 新潟県国民健康保険団体連合会. 運動習慣と医療費に関する分析. 2019. [4] Anderson LH, et al. Health-related quality of life and health care utilization with physical activity. J Phys Act Health. 2005;2(1):11-21. [5] 静岡県健康福祉部. ふじ33プログラム効果検証報告書. 2020. [6] 長野県健康福祉部. 長野県の健康づくり. 2019. [7] 高知市健康福祉部. いきいき百歳体操の展開と効果. 2018. [8] 経済産業省. 健康経営の推進について. 2024. [9] Nagata T, et al. Total health-related costs due to absenteeism, presenteeism, and medical and pharmaceutical expenses in Japanese employers. J Occup Environ Med. 2018;60(5):e273-e280. [10] Steffens D, et al. Prevention of low back pain: a systematic review and meta-analysis. JAMA Intern Med. 2016;176(2):199-208. [11] 厚生労働省. 令和3年度 国民医療費の概況. 2023.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第22回です。 前回 → 第21回「動かなくなる負のスパイラル」