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テックエリートが身体に投資する理由

テックエリートが、そろって身体に莫大な投資をしている。 これは偶然ではなく、AI時代の最も重要なシグナルの一つです。

最先端の経営者たちの「身体ルーティン」

マーク・ザッカーバーグ。Meta(旧Facebook)のCEO。世界有数のテック企業のトップが、MMA(総合格闘技)に本気で取り組んでいます。2023年にはブラジリアン柔術の大会に出場し、金メダルを獲得しました。Instagramに投稿されるトレーニング動画は、プロ格闘家と見まがうほどです。時価総額1兆ドルを超える企業のCEOが、なぜ顔を殴られるリスクを取るのか。

ブライアン・ジョンソン。テック起業家。年間200万ドル以上を自身の「Blueprint」プログラムに費やし、食事・睡眠・運動・サプリメントを極限まで最適化しています。30種類以上のサプリメントを毎日摂取し、体内の数百のバイオマーカーを定期的に測定。彼の目標は「生物学的年齢の逆行」です。実際に、エピジェネティック年齢が実年齢より5歳以上若いという検査結果を公表しています[1]。

ティム・クック。Apple CEO。毎朝4時に起きてジムに向かいます。CEOとしての激務の中で、運動の時間は「交渉不可能」だと語っています。

ジャック・ドーシー。Twitter(現X)とSquareの共同創業者。断食、氷水浴、サウナ、瞑想を日課にしています。極端とも思える健康ルーティンが話題になりましたが、彼はそれを「最高のパフォーマンスのための投資」と位置づけています。

サティア・ナデラ。Microsoft CEO。クリケットとランニングを続けています。「身体的な活動が、思考の明晰さを保つために不可欠だ」と述べています。

なぜ、テクノロジーの最前線にいる人たちが、身体に投資するのか。

パフォーマンスの源泉は身体にある

答えの一つは「パフォーマンスの源泉が身体にある」と理解しているからです。

彼らは毎日、膨大な意思決定を行っています。数千億円規模の判断。何万人の従業員に影響する決断。M&Aの可否、新製品のローンチ、人事の決定。これらの意思決定は、一つひとつが企業の命運を左右します。

その判断の質を支えているのが、睡眠の質、ストレス耐性、集中力。つまり、身体のコンディションです。

これは感覚論ではなく、科学的に裏付けられています。ハーバード・ビジネス・スクールの研究者らは、経営者の睡眠の質が意思決定の質と直接相関することを示しています[2]。睡眠不足は前頭前皮質の機能を低下させ、リスク評価の精度を落とし、衝動的な判断を増やします。スタンフォード大学の研究では、定期的な運動が実行機能(ワーキングメモリ、認知的柔軟性、抑制制御)を有意に向上させることが報告されています[3]。

ティム・クックが朝4時に起きるのは「意識が高い」からではありません。朝の運動が、その日の判断の質を上げることを知っているからです。心拍数を上げ、BDNFの分泌を促し、前頭前皮質を活性化させる。45分のトレーニングが、その後12時間の認知パフォーマンスを底上げする。これはコストパフォーマンスの極めて高い投資です。

身体は「ストレス耐性のインフラ」

二つ目の理由は、身体が「ストレス耐性のインフラ」だからです。

テックCEOたちが抱えるストレスは、一般的なビジネスパーソンとは桁が違います。株主からの圧力、規制当局との折衝、競合との熾烈な競争、SNS上の批判。24時間365日、プレッシャーにさらされ続けます。

運動は、ストレスに対する身体の応答を根本的に変えます。定期的な高強度トレーニングは、HPA軸(視床下部-下垂体-副腎軸)のストレス応答を適応的に変化させ、同じストレスに対してコルチゾールの過剰分泌が起きにくくなります[4]。心拍変動(HRV)も改善し、副交感神経の活動が高まります。

ザッカーバーグがMMAを選んだのは、象徴的です。格闘技は、「物理的に殴られる」というストレスを乗り越える経験です。リング上で冷静さを保つ訓練は、取締役会の修羅場で冷静さを保つ能力に直結します。身体的な限界を経験した人は、精神的なプレッシャーに対しても強くなる。 これは軍のレジリエンス研究でも裏付けられている知見です[5]。

「代替不可能な体験」への渇望

三つ目の理由は、「代替不可能な体験」への渇望です。

テクノロジーの限界を知っているからかもしれません。

AIは情報を処理できます。でも、身体の感覚は処理できません。走った後の高揚感、重力に逆らってバーベルを持ち上げる感覚、心拍数が180を超えた時の集中。これらは、デジタルの世界にはないものです。

ブライアン・ジョンソンの「Blueprint」は、一見するとテクノロジー偏重に見えます。しかし注意深く見ると、彼のプログラムの根幹にあるのは「毎日1時間の高強度トレーニング」です。サプリメントやデータ測定は、運動の効果を最大化するための補助に過ぎません。数百万ドルの投資の最も重要な部分は、結局のところ「体を動かすこと」なのです。

デジタルの世界を作っている人だからこそ、アナログの価値がわかる。毎日コードレビューやスプレッドシートに向き合っている人間にとって、バーベルの冷たい鉄の感触や、スパーリングで相手と組み合う生々しさは、他の何にも代えがたい「リアル」です。

メガトレンドとしての「身体への投資」

この現象は、テックエリートだけの話ではありません。

グローバルウェルネスインスティテュート(GWI)によると、世界のウェルネス市場は2023年時点で約5.6兆ドル規模に達し、年間約10%の成長を続けています[6]。フィットネス産業だけでも約9,670億ドル。特にパーソナルトレーニング、ファンクショナルフィットネス、リカバリーサービスの成長が著しい。

「身体への投資」は、もはやテックエリートのニッチな趣味ではなく、グローバルなメガトレンドです。知識労働者がAIの脅威を感じれば感じるほど、自分の身体。AIに代替できない最後の資産。への関心が高まっていく。

興味深いことに、テック企業自身がこのトレンドを加速させています。Googleは社内にジムとフィットネスクラスを充実させ、Appleは「Apple Fitness+」でフィットネスサービスを展開し、Amazonは「One Medical」を買収してヘルスケア事業に参入しました。テクノロジー企業が「身体の健康」にビジネスチャンスを見出しているのです。

バーベルは誰に対しても平等

テックエリートの身体投資は、私たちに一つのメッセージを送っています。

「テクノロジーが進むほど、身体の価値は上がる」。

彼らは膨大なデータと最先端のテクノロジーにアクセスできる立場にいます。その彼らが最終的に行き着く結論が「体を動かせ」だという事実は、シンプルだけれど、とても重いものです。

私はシリコンバレーのCEOのように年間200万ドルを投じることはできません。でも、毎朝のクロスフィットのクラスに通うことはできます。月会費と1時間の時間。それだけで、ザッカーバーグやクックと同じ「身体投資」のリターンを得られる。

運動の効果に、年収は関係ありません。バーベルは誰に対しても平等です。

この章のポイント

  • ザッカーバーグ・クック・ドーシー・ナデラ。テックトップ層がそろって身体に莫大な投資をしている
  • 三つの理由: 意思決定の質、ストレス耐性のインフラ、AIに代替されない「リアル」への渇望
  • ウェルネス市場5.6兆ドルはニッチな趣味ではなくグローバルなメガトレンド
  • 月会費と1時間の時間で、ザッカーバーグと同じ「身体投資のリターン」が手に入る

参考文献 [1] Johnson B. Blueprint: The Measurement Protocol. blueprint.bryanjohnson.com. 2023. [2] Barnes CM, et al. Sleep and organizational behavior. Annu Rev Organ Psychol Organ Behav. 2016;3:159-181. [3] Hillman CH, et al. Be smart, exercise your heart: exercise effects on brain and cognition. Nat Rev Neurosci. 2008;9(1):58-65. [4] Silverman MN, Deuster PA. Biological mechanisms underlying the role of physical fitness in health and resilience. Interface Focus. 2014;4(5):20140040. [5] Morgan CA, et al. Stress-induced deficits in working memory and visuo-constructive abilities in Special Operations soldiers. Biol Psychiatry. 2006;60(7):722-729. [6] Global Wellness Institute. Global Wellness Economy Monitor. 2023.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第57回です。 前回 → 第56回「頭の仕事が奪われる時代」