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日本人は世界一寝ていない

OECD加盟国の中で、日本人の平均睡眠時間は最下位です[1]。7時間22分。これは加盟国平均の8時間28分を1時間以上下回っています。この「1時間の差」が、どれほど大きな意味を持つか。今日は、数字で見ていきます。

世界の睡眠時間を比較する

OECDの生活時間調査(Time Use Survey)のデータを見ると、日本の異常さが際立ちます。

睡眠時間が最も長いのは南アフリカの9時間13分、次いでインドの8時間48分、アメリカの8時間51分。ヨーロッパでもフランスは8時間32分、イギリスは8時間28分、ドイツは8時間18分と、いずれも8時間を超えています[1]。

日本と同じアジア圏でも、韓国は7時間41分。日本と同様に短いですが、それでも日本よりは長い。日本は堂々のワースト1位です。

この差を「国民性」や「文化」で片付けることもできます。しかし、見方を変えれば、日本は年間で一人あたり約365時間。約15日分。の睡眠を他国より犠牲にしていることになります。1億2,000万人の国民全体で考えれば、天文学的な「睡眠負債」を抱えていることになる。

「忙しいから仕方ない」は本当か

「忙しいから仕方ない」と思うかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。

OECD各国の年間労働時間を見てみましょう。2022年のデータでは、日本の年間労働時間は約1,607時間。これはOECD平均の約1,752時間より短いのです[2]。アメリカは1,811時間、韓国は1,901時間。つまり、日本人は世界的に見て「特別に長く働いている」わけではありません。

それなのに、なぜ睡眠時間だけが世界最短なのか。

答えは「通勤時間」と「睡眠に対する優先順位」にあります。

日本の平均通勤時間は片道約48分(首都圏では約1時間)で、世界でもトップクラスの長さです。往復で2時間近くが通勤に消えます。さらに、帰宅後の家事・育児の時間、「付き合い」の飲み会、そしてスマートフォンやテレビを見る時間。睡眠は、これらすべてが終わった後の「余り時間」に押し込められています。

フランス人の平均睡眠時間は8時間32分。彼らが日本人より暇なわけではありません。働き方と、睡眠に対する「優先順位」が違うのです。フランスでは、睡眠は「削れるもの」ではなく「守るもの」として位置づけられています。

「寝てない自慢」という病

日本には「寝てない自慢」の文化があります。

「昨日3時間しか寝てない」と言えば、頑張っている証拠になる。「忙しくて寝る暇もない」は、有能さの指標。電車で居眠りしている光景は、海外から来た人には驚きだそうです。日本人の居眠りは、NHK Worldでも特集が組まれるほど、外国人にとっては奇異な光景なのです。

この「寝ない=偉い」という価値観は、日本特有のものです。英語圏では、睡眠不足を自慢する文化はむしろ批判の対象になりつつあります。AmazonのジェフBezosは「8時間睡眠が最良の意思決定の源泉だ」と公言し、アリアナ・ハフィントンは自身の睡眠不足による倒倒をきっかけに、睡眠の重要性を啓蒙するThrive Globalを設立しました[3]。

マイクロソフトのサティア・ナデラCEOは8時間睡眠を習慣にしていることで知られ、AppleのティムクックCEOも毎晩7時間の睡眠を確保しているとされています。世界のトップ経営者たちは、睡眠を「戦略的投資」として位置づけているのです。

でも、日本のビジネスシーンでは未だに「寝てない自慢」が幅をきかせています。その「頑張り」は本当に生産的でしょうか。

睡眠不足がもたらす「目に見えない」コスト

睡眠不足が何をもたらすか。データは明確です。

6時間以下の睡眠が続くと、認知機能は2日間徹夜した状態と同等にまで低下します[4]。しかも、本人はそれに気づかない。「慣れた」と感じているのは、体がSOSを出さなくなっただけです。

健康リスクの数字は、衝撃的です。

  • 心疾患リスク: 48%上昇(6時間以下の睡眠)
  • 肥満リスク: 73%上昇(同上)
  • うつ病リスク: 2.5倍
  • 2型糖尿病リスク: 28%上昇
  • 免疫機能低下: 風邪の罹患率が4.2倍[5]
  • 全死亡リスク: 6時間以下の睡眠で12%上昇

経済的な損失も甚大です。ランド研究所の2016年の分析によれば、睡眠不足による日本のGDP損失は年間約1,380億ドル(約15兆円)、GDPの約2.92%に相当すると推計されています[6]。これはOECD諸国の中で最大の割合です。

つまり、日本は睡眠を削ることで生産性を上げているつもりが、実際にはGDPの約3%を失っている。睡眠不足は、国家レベルの経済問題なのです。

睡眠不足は「伝染」する

睡眠不足の影響は、個人にとどまりません。

睡眠不足の上司は、部下に対してより攻撃的になり、チームの心理的安全性を損なうことが研究で示されています[7]。睡眠不足のドライバーによる交通事故は、日本国内で年間数千件に上ると推計されています。アメリカのAAA(全米自動車協会)のデータでは、6時間以下の睡眠で運転した場合、事故リスクは通常の1.3倍、5時間以下では1.9倍、4時間以下では11.5倍に跳ね上がります。

医療現場でも、睡眠不足の医師は医療ミスの発生率が36%高いというデータがあります。私自身、研修医時代に当直明けの判断力の低下を痛感しました。

「慣れ」は「能力の低下に気づかなくなること」であって、「能力が維持されること」ではありません。

運動と睡眠は切り離せない

運動の効果について、ここまで25回にわたって書いてきました。

でも、運動の効果を最大化するには、睡眠が不可欠です。筋肉は寝ている間に修復されます。記憶は寝ている間に定着します。成長ホルモンは寝ている間に分泌されます。免疫細胞は寝ている間にリプログラミングされます。

運動後のタンパク質合成は、睡眠中に最も活発になります。十分な睡眠を取らなければ、トレーニングで壊した筋繊維の修復が不十分になり、筋力の向上も遅れます。ある研究では、睡眠制限(5.5時間/晩)を2週間続けたアスリートは、パフォーマンスが最大30%低下したと報告されています[8]。

運動と睡眠は、セットです。どちらか一方だけでは、十分な効果を発揮しません。

あなたの睡眠は「投資」か「残り物」か

あなたは昨夜、何時間寝ましたか?

もし6時間以下なら、問い直してみてください。それは「忙しいから」ではなく「優先順位が低いから」かもしれません。

睡眠を「削れるもの」から「守るべき投資」に変える。その意識の転換だけで、あなたのパフォーマンスは変わります。

世界一寝ていない国で、意識的に眠ることを選ぶ。それは怠けることではなく、戦略的な選択です。

この章のポイント

  • 日本人の平均睡眠時間はOECD最下位の7時間22分。年間で一人あたり約15日分の睡眠を他国より犠牲にしている
  • 日本人の労働時間はOECD平均より短い。睡眠不足の原因は労働時間ではなく、通勤時間と睡眠に対する優先順位
  • 睡眠不足の健康コストは巨大。日本のGDP損失は年間約15兆円、OECD最大。国家レベルの経済問題
  • 世界のトップ経営者は睡眠を「戦略的投資」として位置づけている。睡眠は削るものではなく守るもの

参考文献 [1] OECD. Time Use Survey. Gender Data Portal. 2021. [2] OECD. Hours Worked (indicator). 2022. [3] Huffington A. The Sleep Revolution. Harmony Books. 2016. [4] Van Dongen HP, et al. The cumulative cost of additional wakefulness. Sleep. 2003;26(2):117-126. [5] Prather AA, et al. Behaviorally assessed sleep and susceptibility to the common cold. Sleep. 2015;38(9):1353-1359. [6] Hafner M, et al. Why sleep matters 、 the economic costs of insufficient sleep. RAND Corporation. 2016. [7] Barnes CM, et al. Lack of sleep and unethical conduct. Organ Behav Hum Decis Process. 2011;115(2):169-180. [8] Mah CD, et al. The effects of sleep extension on the athletic performance of collegiate basketball players. Sleep. 2011;34(7):943-950.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第29回です。 前回 → 第28回「解像度が上がると食事も変わる」