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うつには運動が薬より1.5倍効く

「運動がメンタルにいい」という話は、誰もが聞いたことがあると思います。

でも、「薬と同等かそれ以上に効く」と聞いたら、どうでしょうか。


218件の臨床試験が示した結論

2024年、BMJ(British Medical Journal)に発表された大規模なメタ分析があります。218件のランダム化比較試験、14,170人のデータを統合し、うつ病に最も効果的な運動は何かを分析した研究です[1]。

結果は明確でした。

ウォーキング・ジョギング:効果量 g = -0.63。ヨガ:g = -0.55。筋トレ:g = -0.49。いずれも中程度以上の改善効果です。

そして驚くべきことに、これらの運動は抗うつ薬(SSRI)と同等。場合によってはそれ以上の効果があると報告されています。

この研究が画期的なのは、「ネットワークメタ分析」という手法を使い、異なる種類の運動を直接比較した点です。これまでは「運動はうつに効く」としか言えなかったのが、「どの運動が、どの程度効くのか」まで踏み込んだ。

結論として、最も効果が高かったのはウォーキングやジョギングなどの有酸素運動で、次いでヨガ、そして筋トレ。いずれも強度が高いほど効果が大きい傾向がありましたが、低強度の運動でも対照群(何もしない)に比べて明確な効果がありました[1]。


なぜ運動がうつに効くのか。4つのメカニズム

「運動で気分がよくなる」のは、ただの気分転換ではありません。脳と体に起きる生物学的な変化が、うつ症状を軽減していると考えられています。

  1. セロトニンの増加 運動は脳内のセロトニン合成を促進します。セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、気分の安定、睡眠、食欲の調整に関わる神経伝達物質です。SSRIが「セロトニンの再取り込みを阻害する」ことで効果を発揮するのに対し、運動は「セロトニンの産生そのものを増やす」というより根本的なアプローチです[2]。

  2. BDNFの増加 前回触れたBDNF(脳由来神経栄養因子)は、うつ病患者で低下していることがわかっています。運動はBDNFを増加させ、海馬の神経新生を促進します。うつ病で萎縮した海馬が、運動によって回復する可能性がある[3]。

  3. 炎症の抑制 近年の研究で、うつ病は「脳の炎症」と深く関連していることが明らかになってきました。うつ病患者の血中では、炎症マーカー(CRP、IL-6など)が高値を示すことが多い[4]。定期的な運動は、この慢性的な低レベルの炎症を抑制します。

  4. HPA軸の正常化 うつ病患者では、ストレス応答システム(HPA軸)が過剰に活性化しています。定期的な運動は、HPA軸の反応性を正常化し、コルチゾールの基礎値を下げます[5]。

つまり、運動は「一つの経路」でうつに効くのではなく、「複数の経路を同時に」改善する。これが、薬と同等以上の効果をもたらす理由かもしれません。


医師として感じるジレンマ

医師として、この結果は重く受け止めています。

外来で「気分が落ち込む」「やる気が出ない」と訴える患者さんは少なくありません。薬を処方することはできます。でも、「週に2〜3回、30分歩いてみてください」とは、なかなか言いにくい現実があります。

3分の診察で運動の指導はできません。保険点数もつきません。処方箋を書くほうが、現行の制度では合理的なのです。

日本の精神科外来の平均診察時間は約5〜10分です[6]。この短い時間で、症状の確認、処方の調整、副作用の確認を行わなければならない。「運動してください」と一言添えることはできても、「どんな運動を、どのくらいの頻度で、どのように始めるか」を丁寧に指導する余裕はほとんどありません。

そして何より、うつ症状を抱える人に「運動しなさい」と言うことの難しさがあります。「やる気が出ない」ことが症状そのものなのに、「やる気を出して運動しろ」というのは、矛盾を含んでいます。

だから、ここで書きます。


海外では「運動の処方」が始まっている

この問題に、制度として取り組んでいる国があります。

前述のイギリスのNHSは、軽度から中等度のうつ病に対する第一選択として、運動プログラムを「処方」するガイドラインを整備しています[7]。具体的には、12週間にわたり週3回、45〜60分のグループ運動プログラムに参加するもので、費用はNHSが負担します。

オーストラリアでは、「Exercise & Sports Science Australia(ESSA)」が認定する「運動生理学士(Accredited Exercise Physiologist)」がメンタルヘルスの患者に対して個別の運動プログラムを処方し、その費用がメディケア(公的医療保険)でカバーされています[8]。

アメリカでも、2023年にアメリカ精神医学会(APA)が発表したうつ病治療ガイドラインの改定版で、運動療法が正式に「推奨される補助療法」として記載されました[9]。

ニュージーランドでは、さらに先進的な取り組みがあります。一部の地域では、GPP(一般開業医)が「グリーン処方(Green Prescription)」として、患者に具体的な身体活動プランを処方し、専門のサポートスタッフがフォローアップする制度が20年以上運用されています[10]。

一方、日本ではまだ「運動を処方する」という制度は整っていません。しかし、2024年の厚生労働省の「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」では、メンタルヘルスの改善に運動が有効であることが明記されました[11]。制度が追いつくのは、もう少し先かもしれません。


「薬をやめろ」とは言わない。でも、動くことを「足す」ことはできる

もちろん、誤解してほしくないのは、「薬をやめて運動しろ」と言っているわけではないということです。重度のうつ病には薬物療法が必要です。運動だけで解決できない状態は確かにあります。

しかし、注目すべきデータがあります。2016年のランセット・サイキアトリーに発表されたメタ分析では、薬物療法と運動療法を「併用」した場合、それぞれ単独で行った場合よりも、うつ症状の改善効果が大きいことが示されています[12]。

つまり、薬か運動かの二択ではなく、「薬に運動を足す」ことで効果が増す。これは臨床的に非常に重要な知見です。

また、運動には薬にはないメリットがあります。副作用がほとんどないこと、体重増加のリスクがないこと(多くの抗うつ薬は体重増加の副作用がある)、自己効力感が高まること、そして「自分で自分を助けている」という感覚が得られること。

この「自分で自分を助ける力がある」という実感は、うつからの回復において非常に重要です。


小さく始めるための具体的な処方箋

うつ症状がある時に「1時間走れ」とは言いません。研究が示しているのは、もっと小さなステップでも効果があるということです。

BMJのメタ分析では、週150分(1日約20分)の中強度の運動で十分な効果が確認されています[1]。中強度とは、少し息が上がる程度。早歩きで十分です。

最も大事なのは、「完璧でなくていい」ということ。週5回30分ではなく、まずは週1回15分でもいい。少しずつ増やしていけばいい。実際、前述のBMJの研究でも、どんなに少量の運動であっても、何もしないよりは効果があることが示されています[1]。

最も効果的な「抗うつ薬」は、処方箋がいりません。

運動は「一つの経路」でうつに効くのではなく、「複数の経路を同時に」改善する。

この章のポイント

  • BMJの大規模メタ分析(218件、14,170人):ウォーキングやヨガが抗うつ薬と同等以上の効果を示す
  • 運動はセロトニン・BDNF増加、炎症抑制、HPA軸正常化の4経路でうつに作用する
  • 海外では「運動の処方」が制度化されつつあるが、日本ではまだ整っていない
  • 薬か運動かではなく、「薬に運動を足す」ことで効果が上乗せされる

参考文献 [1] Noetel M, et al. Effect of exercise for depression: systematic review and network meta-analysis of randomised controlled trials. BMJ. 2024;384:e075847. [2] Young SN. How to increase serotonin in the human brain without drugs. J Psychiatry Neurosci. 2007;32(6):394-399. [3] Erickson KI, et al. Exercise training increases size of hippocampus and improves memory. Proc Natl Acad Sci. 2011;108(7):3017-3022. [4] Miller AH, Raison CL. The role of inflammation in depression. Nat Rev Immunol. 2016;16(1):22-34. [5] Hackney AC. Stress and the neuroendocrine system: the role of exercise as a stressor and modifier of stress. Expert Rev Endocrinol Metab. 2006;1(6):783-792. [6] 日本精神神経学会. 精神科医療の実態に関する調査. 2022. [7] NICE. Depression in adults: treatment and management. National Institute for Health and Care Excellence. 2022. [8] Exercise & Sports Science Australia (ESSA). Position Statement on Exercise and Mental Health. 2019. [9] American Psychiatric Association. Practice Guideline for the Treatment of Major Depressive Disorder, Third Edition. 2023. [10] Ministry of Health, New Zealand. Green Prescriptions. 2023. [11] 厚生労働省. 健康づくりのための身体活動・運動ガイド 2023. [12] Schuch FB, et al. Exercise as a treatment for depression: a meta-analysis adjusting for publication bias. J Psychiatr Res. 2016;77:42-51.


この記事は連載「なぜ動く人は、幸せそうなのか」の第13回です。 前回 → 第12回「午後のぼんやりを消す方法」